使い切ることは難しい、という話。

何でも大切に、という訳ではないけれど何となく使い続けてしまう。小学生の頃から持っている下敷きや、学生の頃買った色は少し褪せてきたけれど首元が伸びていないTシャツや、今も現役である。気に入らないものはすぐに買い替えてしまうのでちょいちょい「ものを大切にしない人」というレッテルを貼られる節があるものの、一度気に入ればわたしはとても物持ちが良い。そして、その気に入ったものを普通に使い続けていると、一向に処分するタイミングが訪れない。

確かに、ものを処分するタイミングが分かりやすいものもある。ボールペンのインクは書けなくなれば捨てるしかないし(替え芯を買い続けてこれも最初に本体を購入してからは5年以上経つ)、靴下に穴が開けば掃除に使って捨てられる。服は気に入っている間はいつまでも着れば良いと考えている。困るのは、使いづらい程度には使っているが捨てるタイミングが見つからないものである。

具体的に例を挙げると、消しゴムや鉛筆。消しゴムは割れないので、どんどん小さくなっていく。使いづらいものの、頑張れば消せる。鉛筆も削れさえすれば問題なく書けるものの、握り込みすぎて指先が痛くなる。他に、ゴムが緩んだ靴下も、まだ履ける…気がする。

「充分使った」と思えれば、思い残すことなく捨てられるのは分かっている。それこそ「使い切る」ということだろう。しかし、自分の中でその基準が未だ明確でない。一旦捨てたものの買い直したこともあるし、購入した時は満足したものの高価なブランドの小物を数回も使わずに売ってしまったこともある。故に、使い切るということは難しい、という話。

ちなみに、現在自宅にある一番の古株は、就職した年に京都で購入したコートである。グレーの厚いフエルト生地でできていて、裏地をもう2回直してもらっている。14年目を迎えて今も気に入っているものの、これは生地的に限界かも知れない。

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