見出し画像

先祖探報

2月の下旬、遠縁を訪ねて明石に行ってきました。

私の曽祖父に釜次郎さん(1895−1969)という人がいました。職業は開拓牧師(宣教師)でした。伝道の傍ら土地と資金を得て会堂を建てては、次の牧師に託して新たな土地へ移り、またその次へ・・・という仕事です。直接会ったことはないですが、長いこと私はどこか心惹かれるものがありました。私自身が洗礼を受けたことも重なって、最近ますます「どんな人物だったんだろう。私にどんな影響を及ぼしているのだろうか」という興味が増してきたのですが、資料も何も残っておらず、考えた末に、いまもお元気な、私の祖父の実妹(釜次郎さんの娘、96歳)を2月末に初訪問させてもらいました。初対面ながら温かい歓迎のなかで、思い出話や手記を通じて、たくさんのことを知り得ることができました。

🔹釜次郎さんは子供時代に、父(北海道の商人)とともに一家でクリスチャンとなった。家業が傾き困窮しており奨学金を得て同志社の神学部を出た。いとこも親友も共に神学校で学び牧師となった

🔹物質的・経済的に欠乏していた時代の中でも、本人はどこ吹く風で天真爛漫な気質だった。事務的なことは苦手で、周囲が支援していた模様

🔹海外への単身赴任も含め、会堂も信徒も無い地域・または廃れた教会への赴任が主だった

🔹学者・思想家タイプではなく、愚直な実践あるのみという人だった。ゲリラの潜む地域を通過しないと辿り着かないような遠方でも、果てしない田舎道を何時間も歌を歌いながらスタスタ歩き、信徒を訪問していた

🔹説教では専門用語を用いず、素朴な自分の言葉を語っていた

🔹戦後は焼け野原の東京の下町で、昼は青空の下、夜はりんご箱に置いたロウソク1本から伝道を行った。古い自転車で信徒や求道者の家庭をひたすら訪ねて伝道した。「ほこりかぶった町を、自転車でかけまわっている老伝道者」と書かれている。着任して6年、信徒も資金も充分に集まり、やっと会堂を設てた。今も現役の、そして私の職場と程近い教会である

🔹本人のモットーは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(一コリント9:23)」。説教中によく言っていたのは「光の子らしく歩きなさい」

🔹一にも二にも伝道の釜次郎さんを、教会を、家族を、寡黙と祈りの内に支えていたのが曽祖母だった
等々・・・。

「不得手なことも多いけれど、子供のように無邪気な、信仰一本やりの人」といった人物像が、時空を超えて、ありありと目の前に浮かんでくるようでした。今の時代から考えれば、本当に不思議な人生ですが、地上的な価値観に左右されずに、天に全てを預け切ったからこその生き方なのだなと思わされました。

実は、曽祖父母に関心を持ったもう一つのエピソードがあります。あまりに突拍子も無い話なのですが・・・。2019年から2021年にかけての大学院留学時代、寮の先輩で、樹木疫学の博士課程に国費で在籍していた、非常に優秀なインドネシア人の先輩がいました。彼女は、母方が王族の末裔、父方がシャーマンの家系(3代おきの長子に能力が備わるという・・・)で、まさにその長子にあたり、いわゆる霊が生まれつき見えるという人です。あまりにも超人的な力が備わっていましたが、シャーマンとして生きるというのはある種、あちらの世界に通じ過ぎるがゆえに、ふつうの人間としては生きれなくなること。それを拒絶するかのように幼い頃から勉学に打ち込み、国家公務員の立場もある科学者となり、異様なペースで論文を書き多くの学会に呼ばれる凄まじい人です。食にうるさい、明るくて開放的な人物で、私はすぐに強烈に惹かれました。彼女と寮のキッチンでおやつを食べながら、たわいもないお喋りをしていた時、「あなたのうしろに、ちょくちょく和装のおばあさんがいるんだよね。誰だろうね」と何気なく言われました。私の親族に、和装の高齢女性なんていません。「誰!???」となりました笑。しばらくして、日本にコロナ禍のため一時帰国し、曽祖父母のお墓参りついでに、祖父の家にあった曽祖父母の生前の写真をスマホで撮り、そして留学先へまた戻りました。何も言わずに、先輩に曽祖母の写真を見せると、「あ。この人だよ」と。

私は曽祖母について名前以外のことを何一つ知らないけれど、曽祖母は私のことを知っているようだ。しかも留学先にも一緒に来ているなんて。まあ時空は関係ないのでしょうが、私に関心を持っている人が、時空を超えた先祖の中にいるというのは、とても頼もしく思えたのです。不思議と、曽祖母の讃美歌集と聖書は、たくさん親戚がいる中で、私の手元にいつからかありました。

明石訪問でひとつ腑に落ちたことは、わたしの気質は非常に、良くも悪くも、まるで曽祖父のようだということです。(両親もこの意見に大賛成でした笑)。曽祖母は、そんな曽祖父を尊敬もしながら、おおいに心配もし、不得手なことをフォローする、優秀な理解者でありプロデューサーであったのではと想像します。学者タイプの人が多い父方の家系のなかでも、私は突然発生した美大生でありクリスチャン。隔世的に曽祖父の資質を色濃く発現しているとのではというのが両親の推理であり、私も自分のことながら、一理あるなぁと思ったりもします。
そんな子孫のことが心配で気に掛かると言うのであれば、曽祖母がわたしの後ろに頻繁に現れていたというのは、とても納得がいくなと思います。数年越しの答え合わせができたような気すらしました。

食べるものにも困るという欠乏の時代を経験せずに育った私ではありますが、幼少の頃から、霊的なアンデンティティーへの憧れというか渇望感は、無意識のうちに持っていました。それは、20代半ばを過ぎたころから、ますます色濃くなってきています。自分は誰だろう、自分はどこから来たのだろう、どうやら自分の本質は霊魂だというのがとても納得がいくし、不思議な出来事もいろいろあったけれど、それらは私にとって何を意味しているのだろう。これらの問いは、一生追いかけ続けるものであり、終わりのない巡礼路のようなものだろうと思います。一方で地上の生活(おもに会社員生活)という、霊性を一切ないものとみなして進んでゆく世界に属し生計を立てている私でもあります。霊性の探究・霊性の向上という旅路においてはカメのような進み具合ですが、辛抱強く、そして心の目をもっと開き、まっすぐに神に向かってゆく心を持ち続けるように努めたいなと思います。

ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん。応援してね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?