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パラレル・ワールドに住んでいた

心の世界は外に放射され、現実世界を創っているのだなぁということを実感したのでその話。

仲の良い同期からじきじきに「愚痴を聞いてほしい」と言われたので、仕事の後に一緒に晩ご飯を食べにいきました。業務が辛いのかな?先輩とうまくいかないのかな?と思っていたのですが。(事実そういう悩みは以前から聞いていたので…)

曰く、
同期との雑談や飲み会で、聞くに堪えない下世話な話や他人の噂話や陰口ばかりを一方的に聞かされる体験が積もりに積もり、心の底から、人間と会社が嫌になったとのこと。「会社は自分の居場所だと思っていたのに、なんて汚い場所なのだろうと失望してしまった。あの人も、この人も。」らしいのです。

わたしは、同じ環境に身を置いていても、そういう話とまったく出会っていなかった自分自身に驚いてしまいました。夜に開催される飲み会には一切出ていませんでしたが、その代わり、青空をおすそ分けしているような清々しい数人の人たちと部署と年齢を超えて出会い、休憩時間やプライベートで交流を重ねていました。同じ環境にいるのに、出会う人、見ている景色が全く違う。「これはなんだろうか」と。
もう一つ驚いたのは、1990年代の中盤〜後半あたりに生まれた私たちの世代であっても、下世話な話(失礼)が娯楽であり、青春の代名詞のような、称えるような、大人数でおもしろがる価値観が「いまだに」根強くて、逆に内的な世界の充実や心のつながりを求める価値観は古臭く、やぼったく、かっこわるいとされる風潮があるんだなぁということ。

夜の飲み会に出たい気持ち、同期と繋がりを持ちたい気持ちはよく分かります。友達とか仲間がほしい、できれば恋人も探したい、会社員生活を送る上でコミュニティーから切り離されたくない、などなど…。しかし、焦燥感や欠乏感からそういう場所に出向いてしまうと、類は友を呼ぶ法則が発動し、おなじ状況の人を引いてしまいます。

でも、世間で生きている身である以上、良縁やチャンスやコネは欲しくて当たり前。わたしは、集会や偉い人に求めるのではなく、「必要な出会いや果たすべき役割を神から与えられることを求めていく」のが最も近道だと信じることにしています。究極は神様以外の供給源はないと信じています。まだ日は浅いですが、わたしの実体験をいくつか挙げてみると、飲み会でコネ作りをしたり偉い人に会いに行ったりしなくても、経営層の人の目に触れる役目を何度も任されて顔見知りになったり。集会に行って仲間を開拓しなくても、とつぜん長期出張でオフィスにやってきた海外の人が信じられないくらい波長の近い人で、彼が日本に再び来るたびに出社時刻を合わせてぺちゃぺちゃするようになったり(彼のことをわたしは密かに風の又三郎と呼んでいます、そのことを「なんか分かるかも」という社員がいました)。彼の別の先輩も、またまたこれまた波長の近い人で年次を超えて仲良くしてもらえたり。

旧約聖書に、ヤベツという登場人物が「大いにわたしを祝福して下さい。わたしの地境を広げて下さい。」と天に呼びかけるシーンがあります。出会うべき人と出会う、チャンスが降ってくる、役目を任されるというのはつまり、自分の領域が広がるということで、自分の領域が広がるその時というのは… それが例え、第三者の都合や決断であったとしても。究極には、人の領域を超えた天から、まさに「思いがけない」タイミングや状況の中で与えられるようだなと実感しています。それは、神がその人を益とするために。人から好かれたい時や引き立ててもらいたい時こそ、神との関わりを第一に求める。神に心の照準を合わせる。逆説的のようですが、ほんとうにこれに尽きると思っています。

そんなわけで、わたしは、同じ環境に身を置いていても、同期のあれやこれやを一切目にも耳にもしない、パラレル・ワールドのような会社員生活を送っていたようでした。

わたしの友人は、「仲間を失う怖さ、賛成できなくても世間の価値観に迎合しなければという焦りを持っていた。外れ値になるのが怖い」と自ら振り返っていました。学友なら割り切れても会社の人は案外割り切れないのかもしれない… 本来は見たくない方の世界の人たちの言動を目に留め、意識の中で追いかけ、心の照準を合わせていたからこそ、嫌な体験に遭遇する環境を自らつくり出してしまっていたようです。遭遇するたびに、辛い思いや時間を無駄にしたという苦い思いをしつつも、自分はどういう世界に属したいか分かる過程なのではと思いました。

じゃあ、その逆をやろう。と提案しました。いきなり神様じゃなくてもいいので…「見たい世界、関わりを持ちたい人たちを心のど真ん中に描き、照準を合わせ続けることに、全力集中したらどうかな。見たく無い方の世界は、目に映っても、耳に入っても、心には入れないで。続けていくうちに自分の心の世界が書き換わって、やがて現実世界で出会いたい人や環境が現れてくるんじゃないかな。」

下世話な同期たちにしびれを切らした友人の愚痴大会は、思わぬ形で、精神世界にレッツゴーな会になった(なってしまった)のでした。

#引き寄せの法則  



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