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常識の衣

東京オリンピックが開催されたのは私が16歳の時だった。
我が家は街の小さな写真館、両親と6人の子供の8人家族だった。私はその真ん中で父が奮発して月賦で求めたテレビがスタジオに据えられ大いに盛り上がった。
自由人の父の生き方に苦労が多かった母に、私は絶大な信頼と愛情があった。愚痴も言わず黙々と働く優しい母が大好きだった。
私より3歳下の弟は、中学3年の反抗期、その下に妹2人、家族揃ってテレビに釘付けになった競技は、陸上100メートル、黒い弾丸のヘイズは圧巻だった!
さすがだ!
その時母が言った
「やっぱり、クロンボは速かね〜」
すると弟が突然大きい声で言った!
「なんばいいよつとかか!自分は黄色ンボやっか!」....そう言うと、2階に駆け上って行った。
母はポカンとして
「なんば 腹かいとっとやろか・」と言った。
戦後生まれの私たちは
学校で「人種差別」に関して学んだ、大正生まれの母が褒めたつもりで言った言葉に弟は反応したのだ、
クロンボという言葉を
自分の親が口にしたのが
腹立たしかったのだろう
そういう事が当たり前の時代に育った母には、弟の怒りが理解できなかったのだ。
少しわがままで朝寝坊な弟に、母が叱っていたのはよくみていた。そして、明治生まれの父に反発する弟もよく見ていたが、母に対して怒った弟をみたのは、初めてで
その時一度きりだった。

こうやって時代のズレ、
世代の格差が生まれては
歴史が作られていくのかもしれない。
母がいかに、素朴な「良い人」であってもその時その時代を生きて、身につけた常識の衣は知らず知らずに身についてしまっているものだろう。
だからこそ私達は常に時代の変化に目を向けながら、変わるべきところ、変える必要のない事などを意識しておきたい。

私は昭和22年、戦後のベビーブームの生まれである。

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