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小1、年少、2歳児、3児の母です。毎日声ガラガラになるまで、怒鳴って、大爆笑して、めい…

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小1、年少、2歳児、3児の母です。毎日声ガラガラになるまで、怒鳴って、大爆笑して、めいいっぱい子どもとの時間を過ごしています。「馬耳東風」が特技の夫のおかげで、喧し妻ですが、幸せに暮らしています。神様に感謝しています。

最近の記事

こんなご時世に出勤しなきゃいけない人とその家族は、お国的には“捨て駒”なんでしょうか?という質問をしたいのですが。

子ども3人育ててると、それなりに居住地に根ざしたママ友ネットワークもあったりで、やっぱり「今どうしてる?」なんて近況報告もチマチマお世辞程度にやりあったりする。 でもね、家族みんなが“ステイホーム”叶ってる家庭なんて、なかなかございませんよ。 「おうちにいてください」って小池さんが真摯に呼びかけてくださってるの、超分かる。 分かるけど、「おうちにいさせてもらえない」んですよ。 夫婦のどちらかがテレワークになっても、どちらかが出勤してれば家族に菌を持ち込むわけです。で、そ

    • ダサくて地味な、大っ嫌いな私の名前

      自分の名前、好きだと思えたことなんてない。 母が私を身ごもっている間、私に付けようと思っていた名前を、子どもの頃から幾度となく、「素敵でしょう」と聞かされた。華やかで、美しい名前。 そしてその後に続けて、母は必ず言うのだ。「ね、あんたの名前、ダサくて地味で、最悪でしょ」って。 私を生んですぐ、母は病床に伏せる事になったため、出生届を出したのは父だった。父だったのに。父が役所に提出した私の名前は、母が心に決めた美しい名前ではなく、父の母、つまり私の祖母で、母にとっての姑、が

      • こんなときは、まずハグを。

        子どもといると、 体調なんて、いつでも悪い気がしちゃう。 大声出さなきゃ言うこと聞かないから、 喉痛いなんていつもだし、 四六時中抱っこ紐着けてると、 腰も背中も凝りすぎてるし、 ニュース見てたら不安が煽られて過呼吸みたいに息苦しくなるし、 今後いつまでこの生活してくんだろうとか考えるとそりゃお腹も下るし、 やっと無事に一日終えてふと気を抜くと、 「どうしようこの幸せに“何か”あったら」 って眠れなくなる。 で、朝は寝不足で立ちくらみ。 たぶん、お母さんってわりと、こう。

        • この春も、幸せ。

          志村けんさんの訃報を知って、 『塩狩峠』を思い出した。 1968年に初版が出版された『塩狩峠』は、 北海道の塩狩峠で実際に起きた鉄道事故の話。 1909年2月、 汽車は、塩狩峠の頂上に差し掛かっていた。 連結部が外れた最後尾の車両に乗っていた 鉄道員の彼は、恐怖で混乱する乗客を前に、 レールに飛び込んで車体の下敷きとなった。 乗客を守るために、 彼は自らの身体を投げ出したのだった。 たった1人の命と引き換えに救われた、 大勢の命。 犠牲とは正義か。 正義とは、犠牲なの

        こんなご時世に出勤しなきゃいけない人とその家族は、お国的には“捨て駒”なんでしょうか?という質問をしたいのですが。

          今はまだ、別れません。

          幸せな結婚とは、 いつでも離婚できるけど、離婚したくないからしない、と思い続けられること。 テレビで「辛口コメンテーター」の方がそう言っていた。 なるほどねぇ。 いつも離婚したかったけど、できなかった、 この結婚は失敗だった。 と、暇さえあれば口にする、母のことを思う。 離婚したいと思ったときにはすぐ別れられるように、アンタはいつも自立しときなさい。 結婚したとき、母がくれた言葉は 「おめでとう」じゃなくてコレでしたw おかげさまで、私は、 病めるときも、健やかなるときも

          今はまだ、別れません。

          それ、どうやって履いたの?

          それ、どうやって履いたの?

          子どもと育む日々のこと。

          子育てなんて、そんな大それたこと、 できてるなんて思ってません。 私は、彼らと共に生きてる、けれど、 誰が誰を育てているのか、わかりませんもの。 3人の子どもたちと、かかわり合う時間の中で、私が彼らにあげられるもの、 彼らが彼らで分かち合うもの、 彼らが私にくれるもの、 手に取り合って、見せ合って、 宝物にしたり、捨てたりしながら、 お互いに、認め合う。 そうありたいと考えながら、 日々の暮らしを育むことを、 記録したいと思いました。 私は、「いわゆる良い母親」ではあり

          子どもと育む日々のこと。