No.128 触れる
妹の体調が優れないということで、タッチケアをすることに。
私がするタッチケアというのは、うつ伏せの状態で、服の上から背中、腕、お尻、足、指先まで触れていくもの。
初めて「触れる」ことを勉強したのは、今から10年ぐらい前。弟が不登校だったことから、母がいろんなことを模索し、学んでいたころに出会ったものだった。
その頃勉強したのは、ベビーマッサージ。私がまだ結婚する前のことだったけれど、いつか母になる前に、私に知ってほしい、きっと知っておいたら良いという母の想いからのことだった。
結婚していた頃は、時々パートナーにしていたこともあった。赤ちゃんだけでなく、大人にもできるので、転職の面接前とか、ここぞ、というときにはおまじない、お守りのような感覚で。そして、見事にどの面接もパスしていた。もちろん彼の力なのだけれど、タッチのおかげもあるだろう!と思っている。
妹にタッチすることは初めてだったけれど、10年前にベビーマッサージを勉強したのは、このときのためだったのかもと思った。そのぐらい、私に強い何かを残した。
タッチを終えて私が感じたことは、昔とは少し違った私の在り方だった。
結婚するときに言った「私が彼を幸せにする」という言葉。
親戚のおばさんにも、なんて素敵なことなの、と言ってもらえたし、本気の本気で私が幸せにできると信じて疑わなかった。
でも今になって、それが大きく違っていたことに気が付いた。
相手を大切に想っていたその愛に間違いはなかったけれど、
言い方を変えると、彼は自分の力では幸せにはなれないってことだ。言葉に書くととっても恐ろしい。
誰かに幸せでいてほしいと思うことって自然なことで、誰もが願うことだけど、そのために私がしてあげられることって本当は何もない。コントロールできるという意味で。
今の彼女の体調を良くしようとか、何か想いを込めたわけではなく、ただただそこに存在することを見つめ、触れた。
ベビーマッサージの効果の一つとして、赤ちゃんへの母性が生まれるというのがあるけど、家族に対しても同じで、私の中にこんなに大きな愛があったのかー!ということも、新しい発見だった。(ほんとにね、愛が溢れる)
ベビーマッサージの勉強だけでなく、自分を知ろうと向き合ったこと(本を読んだり、人に会いに行ったり、苦しい思いをしたり)、ファシリテーターの勉強をしたこと、ボディクリーニングの勉強したこと、いろんなことが、このタッチに集約されている感じがした。
手技ももちろん大事だけれど、やっぱりその人の在り方、生き方が表現されると思う。
私が思い出すのは、背中にそっと置いてくれた友達の優しさ、病院で強く握ってくれた看護師さんの手の安心感、ハグで感じられる親近感。
ただ存在することを認め、自分の肌の感覚を思い出し、今生きていることを感じる、そんなタッチができたらいいな。
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