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帰省

空路から陸路での帰省へ

必ず寄るところは大学横の喫茶店、学生時代のバイト先、先輩がやってる飲み屋

以上

その3軒を訪ねさえすれば、あとは家に荷物置いてひたすら歩くのみ。

地元の街はあまりにも多国籍に溢れているし、各々好きな格好をしていて眩しい。とても刺激になる。アパレル業界にも片足突っ込んでるような職なので、街ゆく人の装いや、ショップのマネキンから今年の春夏のトレンドの気配を感じることが出来、己の成長を実感する。


家族は好きだが、実家という空間はもう既に自分の居場所がなくなりつつあることを痛感させられる。家族は好きだから帰っているが、もう「お客様」になってしまった自分がそこに居て、寂しさとも言えない不思議な気持ちになる。帰省と言えど昼過ぎには家を出て夜23時まで帰らないのはその為だろうか。

何はともあれこの街は好きなので、会う人が居なくなってもたぶん来てしまう。そもそも会う友達が少ないことはもう考えないようにしている。
誰かに会うための帰省ではないと言い聞かせ毎回帰ってきているし。

今住んでいる土地もすごく好きだし、帰りの電車の車窓からの眺めはやはりいいものだった。夕方にかけて帰ったのは正解であった。

不思議なもので、うっすらと希死念慮がこちらを伺って忍び寄ってきている気配を感じた。おそらく近々気落ちしてしまう。帰省の後はいつもそう。これを乗り越えるまでが帰省。
おそらく理由などなく、あったとしても複雑で人に話そうにも理解されないだろうから紐解く気にもならぬ。

それであれば尚のこと、かけるうちにこういうものは書いておくべきである。

楽しかったと思うよ。うん。

これくらいの頻度がちょうどいい。
頻繁に帰っては学生時代の人達に会うというのも、いつまでも学生に浸っているような気がして自分らしくない。ダッセェ〜って思う。もうそこに自分の居場所は無いのだぞと。卒業した先輩ってのは、極々まれに顔出すもんじゃないのか。
こういうのはおそらく気軽に会って飲んでスタジオ入っている同期たちへの僻みです。
羨ましい、羨ましいが。誘っても誰も来ない。1人で自慰かの如く弾いているのが性に合うんだ。ひねくれてはいるけど会ってくれる数少ない親友たちには心からの感謝を。

瞼の痙攣が激しくなってきた。

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