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この三冊。 (2)

二冊目は、藤森かよこさんの『馬鹿ブス貧乏
で生きるしかないあなたに愛をこめて書いた
ので読んでください。』 (KKベストセーラ
ーズ)です。

これも去年出た本ではなく、2019年末に刊行
されています。この一冊、なにしろタイトル
がすごいので、わたしはほんのチラ見をする
つもりで(女性向けの内容でもあるでしょうか
ら)手に取りました。

しかしこんな一文が目に飛び込んできて、目
玉が釘付けになります。

「貧乏な大衆は、貧乏な大衆の家に生まれ、
貧乏な大衆とつきあい、貧乏な大衆の発想し
か知らずに生きる。だから、負ける自分、不
幸な自分、弱く惨めな自分、孤独で孤立した
自分、社会の動きに翻弄され消耗する自分を
想像することが、『人生に備えること』、『
人生について考えること』であると思い込ん
でしまっている。
 そのような思い込みは、単なる『世にはび
こるものの考え方のひとつ』でしかないのに。
事実でも真理でも何でもないのに。」(162
ページ)

いまこの文章を書き写しているだけでも、あ
のとき本棚の前で、稀なるものに出くわして
震撼とした自分の気持ちがよみがえります。

わたしも断片的になら、内容的にこれと近い
ことを何かで読んだり、知人から言われたり
したことが、これまでに幾度かあったような
気がします。

けれどもそれらは、その場ではなるほどと頷
いたりうーんと唸ったりしても、わたしの中
で結局みなそれっきりになっていました。要
するにその場かぎりの納得に過ぎなかったと
いうことでしょう。

ところが藤森さんの一文は、恐いくらい核心
に突き当たっているというか、もう他のこと
でその認識を紛らすことが出来ないところま
で透徹しているせいで、わたしは言わば追い
詰められました。ここに書いてあるのは、他
の誰の話でもない
「これはおれ自身のことじゃないか!」
という驚きにまみれて。

こういうことには、きっとタイミングもある
のでしょうが、それ以上にこの一文を書いた
著者の人柄がくっきり立っている、という事
実が欠かせないように思われます。

こうした見識に到達するまで、人が自分でど
れだけ地面を転げ回らなければならないかを、
わたしは知っているつもりです。ご自分でも
転げ回ったに違いない方が、或る時期に至り
断固としてこのように書くからこそ真実の響
きがあり、慈愛の言葉になっています。これ
が無慈悲な極めつけや上からの物言いなどで
は間違ってもないことがよく分かります。

上記の一文のあと著者はさらに続けます。長
い引用になって恐縮ですが。

「貧乏な大衆にできることは、この世に中央
銀行システムを代々かけて構築してきたよう
な人々に対して革命を起こしたり、テロをし
かけたりすることではない。そうやって『彼
らに勝つ』ことではない。
 庶民が、その種の政治活動などにうっかり
関わると馬鹿をみる。革命なんて大衆の中か
ら自然発生的に生まれたことはない。『近代
市民革命』なんて西洋史の用語でしかない。
『彼ら』の使用人たちが、『彼ら』のプラン
を実行するために煽動して人々を動員して起
こした騒動を、そう呼んだだけだ。(中略)
 この社会の構造や仕組みがうすらぼんやり
と見えるようになったあなたは、そのような
空騒ぎに巻き込まれてはいけない。
 この考え方は、『何をしても世の中は変わ
らないよ』と斜に構えるニヒリズムではない。
 重要な変化ほど時間がかかる。政治的変化
も政治的意識の変化も時間がかかる。粘り強
く変化を待ちつつ、変化を進行させていくた
めに、この社会を構成する個人が自分の日常
を変化させ、周囲に変化を広めていくしかな
い。その積み重ねが、社会を変化させる。
 そのためには、あなたは『彼ら』に関係な
く幸福でいることだ。権力も地位もカネも何
もないのに、幸福でいるってことだ。平気で
堂々と、幸福でいるってことだ。世界を、人
人を、社会を、『彼ら』を無駄に無意味に恐
れず、憎まず、そんなのどーでもいいと思う
ような晴れ晴れとした人生を生きることだ。
『彼ら』が繰り出す現象を眺めつつ、その現
象の奥にある真実について考えつつ、その現
象に侵食されない自分を創り生き切ることだ」
(164ー165ページ)

こういうのは、男だから女だからという範疇
をはるかに越えた問題です。本をパラパラや
りだしてほどなくこの部分を見つけたのは、
自分にとってよくよくの幸運でした。

また、これまで分からないなりに小難しい本
にも周期的に挑戦してきた自分を、けっこう
誇らしく感じたのも、この一冊から頂いたご
利益の一つでしょう。

藤森さんのこの本は、ご自身が「雑本」と書
いていらっしゃるように、気軽にどこからで
も読める体裁を取っていますけれど、要所要
所は一種の高みになっていて、サラッと書か
れてはいても、恐らくテレビが教養のすべて
である人には理解が難しいはずです。

だからわたしは、自分が小難しい本も読んで
きたお蔭で最低限の足場が出来ていたことを
誇りと感じて良いと思います。

さてこの本を買って帰り、パラ見ではなく家
できちんと読み終えたとき、わたしが思い浮
かべたのは
(おんどり!)
というシンボルのことです。

西洋占星術にはサビアンシンボルというもの
があって、ホロスコープ全円の 360度すべて
1度1度に固有の意味があるとされるのです
が、この中に
「おんどり」
というシンボルがあります。

このシンボルについて松村潔さんは
(人間の集団が変化するとき、そのキッカケ
づくりをする)
そうしたキャラクターの暗示だと解説されて
いますが、わたしなどはまさに藤森さんの、
夜明けを告げる声に驚いて、時代の節目がも
うそこにやって来ていることを知りました。

占いに関しては
(本気で占い師に人生の相談をしてはいけな
い)
とお書きになっているリアリストの藤森さん
ですが、だからと言ってご自身は決してシン
ボリックなことがらに関して感度が低い訳で
はありません。

このことも、この『馬鹿ブス貧乏で……』と
いう本を非常に刺激的で面白いものにしてい
る要素です。

わたしは個人的に
(人間はいつでも、事実の世界とシンボルの
の世界を同時に生きていくものだ)
と考えていますが、そうだとすると
(味も素っ気もない事実の世界を、ただ嫌悪
するだけの生き方はいかにも危なっかしい)
のと同様に
(雲をつかむようなシンボリックな世界など
一切認めないつもりになっている、対極の生
き方も、実は極めて危なっかしい)
ということになります。

藤森さんはこの点、見事なほどバランスが取
れていると感じます。わたしはすぐに藤森さ
んのブログも読ませていただくようになりま
したが、そこで自分の周囲ではまったく耳に
しないような話題に接して、ときにギョッと
したり半信半疑になったりしても
(これからもずっとこの人の書くものを読み
続けていこう)
という気持ちがぐらつきはしません。

それはつまり、藤森さんが上記のバランスが
良いお人柄だからです。思えば藤森さんのよ
うな著者に出会えたということは
(中味のすこぶる面白い本を見つけた)
という経験をはるかに超えて、わたしにとっ
てはほとんど
(アイドルに巡り合った)
ような出来事なのかも知れません。

これが大げさで的ハズレな言い草でないこと
を、この本を読んでどなたかに認めていただ
けたらどんなに嬉しいことか。

『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに
愛をこめて書いたので読んでください。』
をオススメします。

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