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『運が良いとか悪いとか』(13)

そうしてついに、たとえば
「あの鳥は縁あって神々しいものに選ばれて
いる(属している)が、そうであればこそ他
の生き物の妬みを買い、その身から神が離れ
る一瞬をことさらに狙われるようになったの
だ」
というような説明付けが生まれて、シンボル
と事実が媒介される。

その条件は、事実認識の方について言えば、
称賛と嫉妬の力学がその人間集団で常識とな
りこれが絶えず苦痛や不利益も生み出してい
るが、同時にここから様々な知恵を導くこと
も出来る(それが出来れば尊敬される)、生
きていくことはこの力学と付き合い続けるこ
とだ……といったところまで自分たちの暮ら
しについての認識が稠密な網目を形成してい
いるということである。

天上の事柄(神々しいものたちの世界)から
自律的に地上の生活が運営できるということ
は、何ほどかでも神々しいものを日常生活か
ら遠ざける要因である。

それまで具体的に天上の何が地上の何と繋が
っているのかいちいち意識はされずとも、神
神しいものの気配や似姿とともに営まれてい
た生活からそうした気配が薄れていくと、日
ごとの暮らしは日々の暮らしそれ自身として
営まれる傾向が強まり(あるいは地上の暮ら
しの知恵が蓄積されそれらに従うだけで生活
が自律的に営まれるようになればなるほど、
日常からは神々しいものの似姿や気配が薄れ)
しかしそこにはこれで良いのだ(何も問題は
無い)というほどの自覚や確信まではない。

だから、神々しいものの気配が多少とも希薄
になった暮らしの幾つかの場面で、成員間の
都合がぶつかるようになると、今度は神々し
いものが当然のように召喚される。が、それ
はここまで日常が自律的になる以前の神がか
りに比べて明らかに意図的なものであり、そ
の意図性こそが政治の原点なのである。

だから、この節の冒頭に書いたような説明づ
けをするものは決して単に偶然神がかりがや
って来て結果としてその内容を思い浮かべた
のではなく(仮にそう思い込んでいたとして
も)地上の日常で問題を解決するために(自
分が)神を降ろしたのだという媒介の自覚を
どこかではほんの僅かであれ持たざるを得な
い。

政治の原初にほかならないこの媒介は、はる
かに時代の下った古代ギリシャの都市国家で
市民たちの民主政体が生まれたときでも基本
は同じなのだ。地上の利害調整のために降ろ
される神々が自立心旺盛で、少年少女期の終
わり(あるいは青年期の初め)の正義感に満
ちていた。もちろんそうした神々の世界は、
南ヨーロッパでもまだ自然環境が厳しく子育
てにも余裕のない時代から、気候温暖化の追
い風を受けて粗放ながらも人間個々の工夫や
努力がそれぞれに実を結ぶようになっていく
生産力豊かな時代への変化(地上生活の充実)
を反映している。

つまり、それまでは周辺異族との緊張関係に
加え食べていくことの困難があって、子供は
当然のように少年少女期の前期も後期もほと
んど判明せぬまま慌ただしく成人期に入って
いかねばならなかった。それが南西ヨーロッ
パが実り豊かな土地になっていくと共に、異
族(侵入者)との緊張関係は続くものの、か
つてはとうてい不可能だったような子育てが
可能になっただろう。

それは少年少女期の後期をもっと充実させ、
(前期の方は闘争本能とより深く結びつくの
で、こちらは甘やかすことなく)大人からす
れば、子供にかまけ子供を訓育しつつ、ある
程度まで自分も子供がえり(少年少女期の子
供、という意味だ)できる時間的・心理的余
裕が持てるようになったということである。

そうした地上生活が天上に反映して、粗暴さ
を残しながらそれぞれに自立心旺盛で美や芸
術、肉体美への憧れにもストレートな、あの
ギリシャの神々が生まれる。

つまり、地上で日々の暮らしが天上(神々し
いもの)からより自律的に営まれ、その暮ら
しを支える知恵や工夫が事実認識として蓄積
されていく間には、実はシンボル思考の方も
これを無自覚に反映して水準を上げていって
いる。

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