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『運が良いとか悪いとか』(註4)

(註4)この先もしかするとグダグダになっ
    ていくかも知れませんから、ここで
    最初の問いに対する答え……ここま
    でずうーっとあれが放置されてきた
    ように見えるでしょう。「運が良い
    とか悪いとか」の話はどこへ行った
    のか、と。……を述べておきます。

    運が良いとか悪いとか、という感じ
    方をどう考えるか、です。何だか急
    に取って付けたようですが、以下が
    結論の先取りです。つまり、人間意
    識にはシンボル思考の方面と事実認
    識の方面とがもともと向かい合わせ
    になってあります。

    ということは例えば近代科学の歴史
    を研究している学者で、天文や数学
    から魔術的な考えが追放されて近代
    科学が成立したそのことだけを強調
    したくて(それこそが人間の進歩な
    のだと言いたくて)、そもそもこの
    追放劇がシンボル思考と事実認識と
    の緊張からしか生まれなかったとい
    うことに無自覚な或る人物が、どれ
    ほど軽蔑や憎しみを込めてシンボル
    思考=魔術的な発想を世迷言、ある
    いはほんの気のせいだと退けても、
    その学者自身がふっと「今日はなん
    でこんなに物事の運びがスムーズな
    んだろう?」などと感じて(偶然の
    重なりでまれにこんなことがあるだ
    けだ)と繰り返し自分に言い聞かせ
    ても、その日一日彼の表情が柔らか
    だったり何とはなしの幸福感に包ま
    れ、人にもそれが伝わってしまうの
    をどうすることも出来ない。

    要するにそのように、常にシンボル
    思考と事実認識との緊張関係のうち
    に人間意識がある以上、シンボル思
    考だけを無いものにする、という訳
    にはいかないのです。結論だけを短
    く言えと言われたら、これがその答
    になります。

    また少しだけこれに付け加えるなら、
    そのように人間意識の世界で向かい
    合っているシンボル思考と事実認識
    なのに、西洋近代が世界支配に乗り
    出して以降、シンボル思考はことさ
    らに無いものであるかのように(亡
    霊を振り払うかのように)扱われる
    傾向が強まったので、いま近代社会
    の原理が自壊しつつある現状を反映
    して、従来の偏りに対する揺り戻し
    が精神世界の追求やスピリチュアル
    な事柄の見直しといった形で続いて
    います。




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