その「好き」を隠さなくていいよ
中学生だった時の自分に言ってあげたい。
今でこそ、読書が趣味と言える。なんで読書が好きになったんだろうと思い返してみると、話は幼稚園の頃に遡る。私はその頃から本が好きだった。
本屋に行けば、父がシンデレラや白雪姫などのおとぎ話絵本を買ってくれた。当時の父は優しくて、時間があれば絵本を読み聞かせてくれたのだ。私は内気な子供で、幼稚園中退後は静かに絵を描いたり、本を読んだりして過ごした。
小学校高学年くらいになると、自営業の両親の仕事を邪魔しないように、私は学校が終われば妹や弟を連れて図書館へ行っていた。その時、何気なく手に取った海外の翻訳小説を読んでから小説に夢中になった。そして興奮が冷めやらぬうちに、両親に本の内容を話した。
「ふん。本なんか面白くもない。」
「しょうもない。本を読むなんて時間と金の無駄や。」
子供の頃は本を買ってくれて、読み聞かせてくれた父までも本好きを敵に回すことを言うのだから、裏切られた気持ちになった。めげずに本の話をしても「お前の話は面白くない」、「本の話はもうせんでええ!」と、鼻で笑われるか怒られるかだった。理不尽やわ。そっちは愚痴と不満を私に聞かせるくせに。愚痴よりも本の話をしている方が楽しいと思うけどな…。
好きなものを好き、と言うのはアカンことなんや。
違うものに興味を持てば、またどうせ笑われる。ゲームも、漫画も、テレビも、小説もアカン。自分の「興味がある」、「やりたい」、「楽しそう」という好奇心を無視して、両親が好きなものを好きにならないといけない。無意識にそう思っていた。
やることが無くなった私は暇さえあれば、寝ることにした。そうすれば時間も早く過ぎるし、嫌なことも考えなくて済むからだ。いつの間にか全く読書をしなくなり、「好き」な気持ちを隠してなかったことにした。
今だから分かることは、親や人の「好き嫌い」に左右される必要はないんやなってこと。鼻で笑うような人のために、なんで自分の好きなものを我慢して、彼らの望み通りにならないといけないのか。私をぞんざいに扱う人らを満足させる必要はない。私は人のために自分の気持ちを押し殺すのではなく、自分が「好き」と思うことを楽しんでもいい。
好きなものは好き、って堂々と言っていい。
人の好き嫌いに合わせていたら、どんどん自分の好きなことが分からなくなる。だから「興味がある」、「やりたい」、「楽しそう」と思うことが、自分の「好き」になることがあるから、今はその気持ちを無視しないようにしている。