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おめでとう、私! 自分で決めた「誕生」日

忘れられない旅は、30歳の誕生日。旦那さんからサプライズ旅行をプレゼントされた。

今、この旅行を振り返ってみて、あの時が私の本当の「誕生」日になったかもしれない。

私は誕生日が嫌いだった。家族に祝福されるはずの日をいつも忘れられて、生まれてきたことを否定される言葉と行動で、寂しい想いをしたのが原因。

旦那さんと出会ってからは、美味しいものを一緒に食べてくれて、お花やメッセージカードをくれるから、誕生日が近づくとソワソワする。

サプライズ旅行の行き先は、カナダのモントリオール。そこでは5日間、私のしたいこと、行きたいところどこでも何でもしてくれるとのことだった。モントリオール大聖堂に2回行った。素敵な美術館と図書館へ行き、ヨーロッパの雰囲気を味わった。モントリオール名物のスモークサーモンや美味しいスイーツをたらふく食べた。

旅行最終日。部屋でのんびりしていると、旦那さんが私の隣に座る。「見て」と、彼のスマホが私の前に差し出された。旅行中に撮ったおもしろい写真かなと覗き込んだら、動画だった。モントリオールではなさそう。こんなのいつ撮ったんだろうと思っていると、友達の顔が出てきた。

「まい、お誕生日おめでとう!」と、一言メッセージが聞こえてくる。目が潤んできたところに、動画が切り替わってまた別の友達が出てきた。ブワッと涙が溢れて、画面がぼやける。私は顔を伏せて、動画から流れてくるみんなの声だけを聞いた。

「誰かに想われるのって怖い」と思ってしまった。想われる=期待に答えないといけない。”期待”も私を思っての前向きなものではなく、私が拒否するはずがないという相手の”期待”。拒否をすれば殴られるか嫌われる。だから、想われるのはすごく怖い。

いきなりの愛の言葉のシャワー。私の心の中に「愛情BOX」なんてないから、どう受け取って処理していいのか全く分からない。処理しきれない気持ちが涙となって出てくるのかも。

動画が終わった頃、鼻水と涙で服はびちゃびちゃ。マスカラが取れて黒い目ヤニが出る。旦那さんにお礼を言おうにも泣きしゃっくりが止まらない。

自分がこんなに大事にされる意味が分からない。私は彼らに何もしてあげていない。むしろ色んなことをしてもらっている側だ。何だか信じられなくて、旅行が終わってもふわふわしていた。でも「私を大事に思ってくれる人って、いつの間にかこんなにたくさんいたんや。」と安心した。

あれから5年が経った。あの日意識して、頑張って成長していくぞ!と決めたわけではない。でも振り返ってみると、モントリオール旅行から、過去を言い訳にしなくなったように思う。自分にしか分からないほどの小さな成長をたくさんしている。しっかり自分の足で歩いている感覚がある。

大きく変わったのは記憶部分。30歳まではモノクロでモザイクかかっていた記憶が、モントリオールへ行った日から覚えている出来事が増えた。人に強制的に何かを決められるのではなく、自分が「したい」ことで何かを決められるようになってきたからだろう。気持ちと行動が一致し始めたんだと思う。

記憶できるようになったもう一つの大きな要素は、いつの間にか心に「愛情BOX」が出来たのかもしれない。愛情は受け取るものというより、心に留まるものなんだな。あの動画のおかげで、「自分が想われている」という安心感はいつもある。だから、自分が頑張りたいこと、達成したいことに集中できるのかもしれない。

誕生日は、生まれてきたことを周りに認めてもらう日とも言う。だけど、自分で自分の生き方を認めるのも大事なのかもしれない。結局、毎日を生きていくのは自分なんだし。

そういった意味で、あの旅行は私の「誕生」日だった。

てことは、私はまだ5歳。

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