見出し画像

【第32話】いらない子

「私はいらない子」

そう思い続けたが、私は間違っていた。両親に愛されて当然だと『期待』していたから、「いらない子」と感じていただけだったのだ。『期待』をやめて、自分のために生きることを選んでからは「いらない子」と感じなくなった。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

父親は理不尽、母親は無関心。そんな両親にでも愛されたくて、認められたくて必死だった小学生時代。言いたいこと、やりたいことを我慢して、両親の言うことに従っていた。そうすれば愛されると思った。そもそも、我慢して成り立つ関係なんてないのだが、それに気がつくのはもっと後だ。我慢には限界があると中学生のときに知った。

 「おい、家の手伝いしろや。遊びに行かんと、兄弟の面倒みろや。親の言うことくらい聞けや!」
 「…お父さんらの言うこと、ちゃんと聞いてるやん。遊ぶなって言われてる友達とも遊んでないし、家の手伝いも言われなくてもやってる。これ以上、私に何を求めんの?なんでできてないみたいに言われなアカンねん!」
 「口答えすなや!お前は黙って、親の言うこと聞いとけや!」
 「無理!こっちの言い分だって聞いてよ!」

しばしの沈黙があった。父親が初めて私の気持ちに理解を示したと思った。でも違った。

 「はぁ…なんでこいつがワシの娘なんやろな。できそこない」

呆れるように彼はそんな言葉を投げつける。「デキソコナイ」という単語が頭の中でこだまして、何も言えなくなった。その場にいた母は、私と父に背を向けて黙っている。親に存在を否定された気持ちになって、心臓が刺されたみたいに痛い。泣くもんか、こみあげる涙を堪える。父は私が黙ったことに勝った気になったみたいだった。それ以上は何も言わなかったし、私の方を見ることもしなかった。

その時学んだのだ。私は両親にずっと『期待』していたんだと。親だから、言えば気持ちを理解してくれる。甘かった。

彼らは私よりも自分たちが可愛いのだ。そんなことに、気がつけなかったのが馬鹿らしくて笑えた。自分が我慢して、人の『期待』に答える無意味さを知った。相手が何かをしてくれることに期待して、してくれないと怒る。こちらも相手からの見返りが欲しくて、期待に答えようとする。どちらもわがままだ。

その日を境に、両親に愛されることを『期待』するのをやめた。誰かのために生きることもやめた。自分の言いたいこと、おかしいことは口にするようにした。もちろん、父との口喧嘩は増えた。体の芯までどす黒く染められるような呪いの言葉をたくさん浴びせられた。母の無関心は相変わらずだった。多分、彼女は安心していただろう。父と私が喧嘩している間、彼の怒りの矛先は私に向かっていたのだから。

父親に関してはただ「血が繋がった人」、母親は「育ててくれた人」とだけ思うようになった。彼らから、「いらない子」だと思われても以前ほど辛くはなかった。誰かには”必要とされる子”だと思って生きていくことにしたから。自分の心に無理をせず、依存せず、信頼できる人から”必要とされる”ような人間になろうと決めた。

そう思ってから15年。数は少ないけども、信頼できて、私のそのままを好きでいれてくれる人ばかりが集まっている。あの時、誰かの”ため”に生きることを止めてよかった。『期待』することを止めてよかった。長い年月がかかって、何度も失敗して、自分が幸せになれる方法を探した。自分らしくいられる人と出会うための努力を怠らなくて良かったと思う。

バッタモン家族での「いらない子」は、誰かにとっての「必要な子」になった。


サポートありがとうございます。