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「親に愛された人が妬ましい」気持ちと向き合って出た答え

暴力とは無縁で、親の愛情を無条件に受けて育った人が妬ましかった。自分の中で認めたくないドロドロとした物が溢れてくる。『千と千尋の神隠し』のオクサレ様を思い出す。悪い感情にまみれた自分、もらえなかった愛情を考えると嫌になる。

 ないもんはないねん。

そう思えるようになったのは、家族から離れて7年経った最近のこと。それでもTwitterやnoteで、誰かが家族との思い出話を語るのを見ると「いいなぁ…」と胸がキュッとなる。割り切っていてもまだこんな感情になるのは、なんでやろう。ほんまに、もらえへんかったものに対しての嫉妬だけ?

 多分、自分の生まれた時や小さい頃の思い出を語ってくれる人がいないから。

寂しいんだと思う。自分が今生きているってことは、少なくとも赤ちゃんの時は世話をしてもらったってことやん。でもどういう風に大事にされていたのか。どんなことあったのか。物心ついたときには「私は、いらない子」だと思っていたから、生まれた時くらいはみんなが私の誕生を喜んでくれたらいいな。想像することしかできない。

たまにやけど、私はある日突然、誰かに作られて誕生したロボットなんじゃないかって思うことがある。子供時代の記憶はほぼ空白で、家族もいない。「そもそも今の自分の現実は、ほんまに存在してる?旦那さんとの幸せな生活は夢じゃないよな?」とまで考える。

旦那さんの家族と、旦那さんの小さい頃の思い出話を聞くのは楽しい。でもほんの少しだけ(1ミリくらい)、取り残されたような気持ちになる。こんな風に楽しく、愛おしく、子供のことを語る親がいるのが羨ましい。

実の親の愛情はもう求めてない。いまさら注がれても困る。ただ、自分にもあったはずのものがないことを実感するのが、「寂しさ」の原因なんだろうな。

子供目線から親に対してのことには羨ましさが出るけど、親目線から子供のことを語るのは微笑ましく思う。多分それは、私自身が親になったら与えることができるからやと思う。いない人や過ぎ去った時間から、何かをもらうのはできないけど、自分から何かを与えることはできる。

いつ親になるかは今は考えてないし、親になりたいかもまだ分からない。でももし親になるとしたら、子供に「もう、鬱陶しい」って言われるくらいの愛情を注ぎたい。

子供がいなくとも、私には旦那さんや旦那さんの家族、大事な友人がいて、その人たちにありったけの愛情を渡す事もできる。これから思い出をたくさん作って、数年後には「そういえば、あの時」って、みんなでみんなの思い出を語り合えたらいいよね。

過去に起きたことは変えられへんけど、寂しさとずっと生きていかなアカンとは思うけど、「今から」は自分で作り出せる。ないもんはないねん。あるものや、無くても作り出せるもので自分と周りを幸せにできるほうが、この先もきっと明るいと思う。

私の心のオクサレ様もこれで、「よきかな」って言うてる。


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