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戯曲『作家と蛙』

作家と蛙 前編

 何もない空間。文字通りそこには何もない。音もなければ静寂もない、光もないが闇もない。その空間からは何も感じることができない。無機質に広がった空間。
 そこで作家は執筆を続けている。作家、もしくは弁護士が『ずっとモノローグ』の朗読をしている。開演、弁護士がいる場合、弁護士の動きは止まる。

作:「私は誰?」彼らが答える。「私たちはもう何者でもない。自ら存在を失った自我、その成れの果て」

 空気の色が変わる。作家は物語から戻ってくる。

作: ここら辺のものは全て文字に変えてしまいました。するとこの世界には音も光も何もかもなくなってしまいました。あるいは僕が何も感じられなくなってしまったのかもしれません。困った僕は想像で物語を紡ぐことにしました。しかし、リアルじゃないそれが僕にはとても退屈に思えてしまって、次第に僕は、何もかもがどうでも良くなってしまったのです。

 そこに蛙がやってくる。

蛙:あなたも死んだのですか?
作:え?
蛙:あなたも、死んだのですか?
作:いえ、僕は死んでいません。
蛙:そうなのですか。
作:あなたは死んだのですか?
蛙:私は死にました。
作:じゃあ、ここは死後の世界なのですか?
蛙:そうです。
作:それはおかしいです。
蛙:どうしてですか?
作:だって僕は死んでいないし。
蛙:そうなのですね。でも、私にとってここは死後の世界です。
作:でも。
蛙:それで、いいじゃないですか。
作:あなたは誰ですか?
蛙:みてわかりませんか?
作:蛙?
蛙:そうです。私は蛙です。あなたは?
作:私は作家です。
蛙:そうですか。
作:この世界にはもう何もないはずなのに。突如現れたその蛙は私にとって唯一リアルな存在でした。
蛙:あなたはどうしてここにいるのですか?
作:僕が、どうしてここに?
蛙:はい。
作:わかりません。
蛙:覚えてないのですか?
作:違います。
蛙:じゃあ、どうして分からない?
作:どうでもいいからです。
蛙:どうでもいい?
作:どうでもいいのです。僕がどうしてここにいるのか考えようとしてもどうでもいいとしか思えないのです。
蛙:そうなのですね。(間)私、あなたの物語が聞きたいです。
作:僕の物語?
蛙:はい、冥土の土産に。
作:冥土の土産?あなたはもう死んでいるのではないのですか?
蛙:そうです。死んでいます。そしてまた死ぬのです。
作:どういうことですか?
蛙:私は死ぬまで死ぬのです。私が終わるまで何度でも死ぬのです。
作:それは死なのですか?
蛙:私にとっては死です。私、早く死にたいのです。だから、ほら、早く。
作:ちょっと待ってください。僕は“どうでもいい”から抜け出すのが難しいのです。
蛙:そんなことはわかっています。でも、あなたは作家なのでしょう?
作:どうしてそんなに僕の物語を聞きたいのですか?
蛙:だって、それを聞いたら次は死ねるかも知れないじゃないですか。
作:僕の物語であなたが死ねるのですか?
蛙:はい。

 蛙、真剣な目をしている。

作:それはあなたにとってどうでも良くないことですか?
蛙:そうです。私にとってどうでも良くないことです。
作:そうですか。じゃあ、何とかできる気がします。
蛙:お願いしますね。

 作家、唸り始める。蛙はそれを静かに見守っている。

作:あるところに、男がいました?(上記の文から始まる短い物語を語る)
蛙:ふーん。
作:退屈だ。どうでもいい。
蛙:そうですね。どうでもいい。
作:僕には無理です。
蛙:でも私、これで死んでみますね。
作:こんなどうでもいい話でいいのですか?
蛙:でも、心底どうでもいいと思えたから。死ねるかもしれません。
蛙:それでは、そろそろ行きますね。
作:どこに?
蛙:死にに。
作:どこで?
蛙:ちょっとそこらで。あ、覗いちゃダメですよ。
作:どうして?
蛙:だって。私が死ぬのを止めないと約束できますか?
作:どうして死にたいのですか?
蛙:どうして?死にたいからです。
作:そうですか。
蛙:それでは、さようなら。
作:さようなら。

 蛙、捌ける。

作:どうしてでしょうか。胸がキュッとします。僕は、彼女が死に損なうことを祈ってしまいました。

 蛙、戻ってくる。

作:何か忘れ物ですか?
蛙:あなたも死んだのですか?

 間。

蛙:あなたも死んだのですか?
作:え?
蛙:あなたも、死んだのですか?
作:いえ、僕は死んでいません。
蛙:そうなのですか。
作:あなたは死んだのですか?
蛙:私は死にました。

 間。

作:あなたは死ねたのですか?
蛙:はい。でも、また黄泉がえってしまいました。あなたは私のことを知っているのですか?
作:はい。先ほどまでお話していました。
蛙:では、前の私と話したのですね。
作:前の?
蛙:はい。
作:あの、前のあなたはどちらに?
蛙:あちらに。

 蛙、自分が出てきた方向を指差す。
 作家、そちらに向かう。するとそこには蛙の死骸がある。

作:これは。
蛙:あなたは誰ですか?
作:私は作家です。
蛙:そうですか。
蛙:あなたはどうしてここにいるのですか?
作:僕が、どうしてここに?
蛙:はい。
作:わかりません。
蛙:覚えてないのですか?
作:違います。
蛙:じゃあ、どうして分からない?
作:どうでもいいからです。
蛙:どうでもいい?
作:どうでもいいのです。僕がどうしてここにいるのか考えようとしてもどうでもいいとしか思えないのです。
蛙:そうなのですね。では、私、あなたの物語が聞きたいです。
作:僕の、物語、ですか?
蛙:はい。冥土の土産に。
作:そうですか。そうですよね。
蛙:はい。
作:わかりました。それでは目を瞑ってください。
蛙:?わかりました。

 蛙、目を閉じる。

作:彼女が何度も死に損ない、何度も、何度も死骸になってくれれば僕はずっとリアルを書き続けられるのではなかろうか。そうすれば、僕はこの退屈から逃れられるのではなかろうか。
蛙:まだですかー?
作:僕は、彼女の死骸を文字に変えることにしました。

 作家、カエルの死骸を文字に変える。そして、物語を語り始める。

 終演。


作と蛙 後編

 蛙の死骸の跡が沢山ある。

作:あれから、僕は何度も、何度も彼女の死骸を文字に変えました。その度に僕はリアルな物語を書き、それを彼女に話して聞かせました。彼女は自分の死骸から生まれた物語を嬉しそうに聞いていました。その度に「今度は死ぬことができそう」だとか「やっと死ねる」などと言いながら死にに行き、初めましての顔で戻ってくるのでした。
蛙:あなたも死んだのですか?
作:そのうち僕はこう思うようになりました。
蛙:では、前の私と話したのですね
作:彼女を死なせる話が書きたいと。
蛙:あなたは誰ですか?
作:私は作家です。

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