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あなたはもう「一員」にならなくていい。

今思えば、それは幼い頃から始まっていたのだ。

「1年生になったら、ともだち100人できるかな。」

そんなような歌を繰り返し繰り返し歌わされて、私たちは「友達をつくること」が至上命題であるかのように思って育った。

「友達がいる」ことが是であり、「友達がいない」ことは非であると、それはそれは全方向から植え付けられながら大きくなった。

クラスという名の集団。部活という名の集団。なんらかの「一員」になることを必修科目とされ、さらにはそのクラスや部活の中でもなんらかの「グループ」に所属することを画策しながら、「スクールカースト」なるものは形作られていく。

「一員である」という実感って、とっても甘美だ。自分が存在することを許されている、認められている、よろこばれている。そんな錯覚を、たやすく受け取ることができる。

「一員である」という甘美な誘惑は、学校の外にもあふれんばかりにころがっている。たとえば、なんらかのバンドを好きになる。ライブに行ってみたいと思う。そうすると、みんなが、おそろいのTシャツを着ている。このTシャツで埋め尽くされた客席の風景が、バンドの皆さんをよろこばせるのだと知る。実際、ステージの上の皆さんもそれを着ていたりする。Tシャツを買う、そして着る。自分も、そのバンドの皆さんの躍進を助ける「一員」なのだと酔いしれる。

自分は彼らの「一員」なのだという、甘美な幻を、私たちは買う。

それは、はっきりと快楽である。自分は、よろこばれている。自分がそこに身を置くことを、あの人たちはよろこんでくれる。次のライブのチケットを取る。グッズを楽しみにする。買う。また快楽が待っている。

47歳のおばちゃんになった私は、そんなカラクリに、すっかり気づいちゃったのだ。

これらの構図の中に、「馴染めない」者の存在はカウントされていない。とにかく「馴染む」ことが至上命題とされている。右を見て、左を見て、血眼で共通点を探すし、まわりとは違う自分がいたら全力でそれを隠す。多数派とは異なる意見や、異なる価値観や、とにかく「馴染めない自分」は抹殺して、「馴染める自分」を全力でアピールする。

自分が存在することを許され、よろこんでもらうために、自分を殺しながら生きる。

……めっちゃ不思議現象!!!

私たちは小さい頃から、『なにかの一員でなければならない』という強迫観念にさらされながら生きている。

少なくとも私は長らく、そうしなきゃいけない日々に苦しめられ続けてきた。なんとかして「一員」になりたいと、メールを出しまくったり、わざとタメ語を使ってみたり、いろんな「しくじり」を重ねてきた。そのおこないがむしろ嫌悪され、「一員」からはじき出されながら、私はここまで暮らしてきた。

やっとわかった。そうじゃないんだ。「一員になれた」という実感って、そんな安易な偽りによって得られるものでは、まったく、まったくないんである。

ただ、地道に自分を重ねる。それがいつか、誰かに届く。響く。

自分を重ねることでしか、ほんとうの居場所って、つかめないように思う。

もっと、ふてぶてしくなろう。あなたには、あなたのままで、許され、よろこばれる場所が、きっとあるのだ。(2020/10/04)

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