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ウクレレはじめました。

勤め人生活がいったんの区切りを得て、おうち生活が始まってから10日を過ぎた。快適すぎて、びっくりしている。もっと、「外に出たい!」とか「人としゃべりたい!!」とかがのしかかってくるのかと思っていた。でも全然のしかかってこない。朝起きて、どこにも行かなくていいことに、とてつもなく安心する。胸のあたりから、じわじわと、幸福が全身に沁みだしてくる。だから私は午前中が好きだ。これから、1日が始まる。なにをやっても、やらなくてもいい。いまが午前中である、ただそれだけで、私はこんなに幸せになれる。

朝起きると、まず朝ドラを観る。終わったら、最近はムロツヨシのインスタライブを観るのが日課だ。ああ見えて、なんと2万人とか3万人が毎朝集まる。とりたてて、特別な内容がないのがいい。湯呑でコーヒーをすすりながら、朝ドラの感想とか何らかのボヤきとか、そういうのをしばらくしゃべってから、医療従事者や販売業や宅配業や介護職や「母親業」の皆さんにエールをおくって、「さあ、さあさあさあ!」って謎の掛け声とともにライブはぷつりと終わる。2万人3万人が、それぞれの生活へ散っていく。その、「みんながそれぞれの生活へ散っていく」感が、なんかいい。

勤め人生活をする前、私は売れないフリーライターだった。いまと同じように、家にいて、どこにも行かずに、鬱々と過ごしていた。時間の過ごし方はいまと同じなのに、あの頃は胃のあたりがヒリヒリズキズキしていた。そりゃそうである。あの頃の私にとって、「おうちにいること」は「自分の無能の証明」だったから。

たぶん私は、ひとつ安心材料を得たのだと思う。あの頃は、自分は「書くこと」しか能がないと思っていたから、書く機会を与えられないことは、つまり世界の終わりを意味していた。でも今の私は「働きに出る」という選択肢を得た。必ずしも私は、書かなくても、生きてはいける。

考えてみたら、いまだってある程度ピンチなのだ。派遣先から契約を切られた。コロちゃん騒ぎで求人がない。次に働けるあてなんてまるでない。でも、ヒリヒリズキズキしていない。ヒリヒリズキズキしながら、目の前の諸問題ばかりをみつめて悩んだところで、なんにも始まらないことを知ったから。だったらその時間を、もっと心安らかに過ごしたい。

そこで、というかなんというか、突然だけれど私はウクレレを買った。完全独学。ライブとか発表会とか、目標のたぐいが一切ない。YouTubeには、優れた先生がたくさんいる。じゃんじゃかじゃん、って鳴らすごとに、昨日まで押さえられなかったコードを、今日は押さえられたりとかする。

人生には、私がまだ知らない楽しみが山ほどあるのだ。知らない映画や、知らないテレビ番組。知らない楽器に、知らないごはん。それらを、誰にも強いられることなく、自分のペースとアンテナだけで、じわじわと侵食していける。こんなに幸せなことがあるだろうか。ビバ、おうち生活。

唯一の心配事としては、コロちゃん騒ぎがもし収束したところで、「外に出たい!」とか「人としゃべりたい!!」ってならなそうな気がすることだ。みんなが、散り散りになっておうちにいる、そのことによる連帯とでも言おうか。平常時よりもずっと、ひとりじゃない、って思うんだ私は。さあ、今日はなにをしようかな、それとも、なにもしないでいようかな。(2020/05/12)

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