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妖怪「シャクゼントシナイゾ」見参。

なにか、釈然としないことが起きたとき。「あれ、釈然としないぞ?」って気づくのに、私の場合、とてつもなく時間がかかる。

目の前で起きたことを、まず、とりあえず、許容するように私の脳みそはできている。今までたくさんの理不尽を、「はい、よろこんで!」とばかりに受け入れてきた。「あれ、釈然としないぞ?」に気づく頃には、すでにそのことをすっかり許容してしまった後なので、私の「釈然としないぞ?」はただ、ふわふわと宙をただよう。そしてそのまま、忘却の彼方へ。これまでいくつの「釈然としないぞ?」を、水に流してきただろう。

この1年間、派遣で働いてきたテレオペ業務を、4月いっぱいで去ることになった。

それは非番の水曜日のこと。派遣会社の担当さんから「今日、電話してもいいですか?」とのメールが入った。なんでも「現在の業務について、お話がある」とのこと。なんだろう。コロちゃん関連かしら。有給のひとつももらえるのかしら。少し時間を置いて、彼女から電話が入る。

「オガワさん、ショートタイムで勤務されていますよね」

そうですね、ショートタイムで勤務しています。

「このほど(会社名)さまのご判断で、ショートタイムの方はもう雇用できないということになりまして。オガワさんのご契約は4月いっぱい、厳密には5月1日の金曜日までで打ち切りとなります」

ものすごくあっさりと彼女は言った。とっさに私も、あっさりと返事した。

「ああ、そうなんですか」

つられやすい体質である。カラオケで勝手にハモられるのが大きらいだ。

「ですので、こちらとしても、5月入社のお仕事を、ご紹介させていただきたく思います。まだその時期の入社の案件が入ってきていませんので、4月半ば頃にまた、ご連絡させていただければと思います」

承知しました、そうしてください。そう答えて電話を切って、確定申告の作業をして、翌日は何事もなかったみたいな顔で、テレオペの職場に向かった。

どうやら直属の上司たちは、このことを知らないようである。「制度改正にともなう研修」が、来週あるからねとにっこり告げられた。電話の鳴らないブースに座って、あれやこれやと考える。ちまたは、年度末である。ああそうか、ひょっとしたら、5月入社よりも4月入社の求人のほうが多いんじゃないかしら。そんなことを思いつき、休憩時間に派遣の担当さんにメールを送る。「明日、会って話しませんか」「そうしましょう」。早速、翌日、派遣会社を訪ねた。

「不安な思いをさせてしまって、申し訳ありません」と彼女は頭を下げた。たしかに不安だ。だけど彼女があやまることではないので、そう伝える。もう一度、私がショートタイム勤務であることが、契約解除の理由であることを説明された。そのとき、妖怪「シャクゼントシナイゾ」のしっぽがちらりと見え隠れした。そう、このタイミングで「シャクゼントシナイゾ」は姿を現していたのだ。でも、担当嬢に会わせるべき妖怪ではないので、見なかったふりをする。

そして、「4月入社」だろうと「5月入社」だろうと、そもそもコロちゃんの影響で、あらゆる求人がキャンセルもしくはストップしているのだと知らされた。

「だからオガワさん、5月には、全部収まってることを祈りましょう!!」

わかってる。彼女に言えるのは、これがすべてだ。

帰りに、中華屋に寄って「水餃子セット」を食べた。可もなく不可もないランチセットを咀嚼しながら、とりあえずすごいことが起きたぞと思ってSNSにつぶやいた。ぽつり、ぽつりと「悲しいね」マークが増えていく。そうか、これは、「悲しい」ことなのか。

そして迎えた週末。いつものように起きて、いつものようにコーヒーを淹れて、いつものようにごろごろする。最近、写真のかわりに動画を撮る面白さに目覚めていて、最軽量のスマホ用「ジンバル」とやらを導入しようかすまいか迷っている。商品名で検索すれば、それを使った人たちによる検証動画がたんまり上がっている。胸をときめかせながら見ていたら、あっという間に日が暮れた。

そのときだ。ふと我に返ったそのとき、妖怪「シャクゼントシナイゾ」が現れた。そして私に言うのだ。

「あの職場が、ショートタイム勤務OKだったから応募して、採用されたんだよな?」

……ほんとだ!「ショートタイム勤務、OKだよ♪」って、最初に言ってきたのは、あっちのほうだ!

あっちの気変わりに巻き込まれて、私はコロちゃん吹きすさぶ外界に、身一つでほうり出されようとしている。

それなりに人生経験を積んでいるので、まあ、なんとかなるだろうな、って根拠なく思っている。食欲もあるし、テレビも面白い。でも妖怪「シャクゼントシナイゾ」が時折、顔を見せるのだ。お前、いいのか? そうやって、降りかかる理不尽をすべて飲み込んで、まるまると太って生きていくつもりか?

——そうか。この腹の贅肉は、私が飲み込んだ理不尽たちだったのか。

いつもみたいに、理不尽を飲み込んでしまう前に、ひとまず「記録する」ということを今、やってみている。まるまると太った私にとって、これはかなりの、新挑戦なのだ。(2020/03/07)

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