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人生の操縦桿は自分の手に。

占いのたぐいは、あまり信じていない。なにか物事が起きたとして、それが「良きこと」なのか「悪きこと」なのかは、受け取り手次第だと思っているからだ。本人の調子がよければ「良きこと」になるだろうし、悪ければ「悪きこと」になるだろう。とんだ災難が起きたとしても、そこにあるのは「災難」ではなく、それらを「災難だ」と思っている自分だ。

それでもやっぱり、「大吉」のおみくじを引くと、うれしい。

「しいたけ占い」も、かなり古くからのファンである。私はあれは「占い」というより「人生訓」として読んでいる。こういうとき、人間という生き物は、こういうふうになりがちですよ。だから、こういうふうに考えてみましょう。「しいたけ.」さんがつづる文章は、いつもそうやって、考え方のスイッチを変えてくれる。

若い頃は、いくつかの占いに身を投じてみたりした。西洋占星術によると、私の人生全体を司る太陽と、仕事運を司る星が、ほぼ同じ位置にあるのだそうだ。だから私は、仕事に生きる人であるらしい。たしかに、ただお金を稼ぐための手段として「仕事」を考えたことがない。1日の大半を仕事場で過ごすのだから、何らかの意義や喜びを感じていたい。

去年の2月から、コールセンターで電話を取っている。生まれて初めて、何の興味もない世界で働くことを選んでみた。毎日会社に通いながら、ふと、あのホロスコープが頭をよぎったりする。私は別に、このコールセンターに自分の人生の軸足を置きたいわけではない。ただ、食い扶持のために、ここへやってきた。いいのかな。私、そういう職場で働いていて、いいのかな。ホロスコープ的に。

そんなふうに考えながら、ある時、私はハッとしたのだ。いったい私はいつの間に、自分の人生の主導権を「星」にゆだねてしまったのか。私の人生をどうするか、起きた出来事をどう受け止めるか、その操縦桿を握っているのは、私自身ではなかったか。

そんなわけで私は、占いのたぐいは、あまり信じていない。読みたいなと思うものを読み、参考になるなと思うことを参考にする。そうすると、とっても自分に都合のいい日々になる。占いは「当たるか当たらないか」ではない。読んだあとに「楽しくなれるかなれないか」だ。

そして特筆すべきは、そういった点においても、「しいたけ占い」は実に優秀であることだ。どんな不運にある人にも、「しいたけ.」さんは幸せを語る。幸せな人生のあり方を語る。私も書き手のはしくれとして、そうありたいなと思うのだ。(2020/01/22)

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