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『音楽の日』の『花の匂い』に愕然とした夜

ほんとうはまだ、信じられない思いでいるのだ。ゆうべ観たものはまるで私の勘違いで、なんだー、気を揉んで損した!ってけらけら笑えたらよかったのにと、今この瞬間も思っている。

昨日の、TBS『音楽の日』。東日本大震災から10年のその日に宮城から放送された、その音楽特番のオープニングに流れたVTRが、私は、どうか幻であってほしいのだ。

登場したのは、櫻井和寿と小林武史だ。若い頃から、いくつになっても、彼らの仕事にはたくさん励まされてきたし、気付かされることもいっぱいあった。そのふたりが、海岸に佇んでいる。「宮城県石巻市 きょう午後」って字幕が出る。

小林さんのピアノにのせて、流れ始めたのは『花の匂い』だ。「永遠のさよなら」をした大切な相手に対して、祈りと感謝を、そして叶わないかもしれない再会への希望を、切々と織りかさねていく名曲である。2008年。震災の3年前に、映画の主題歌として作られた曲だ。

まるでこの日の鎮魂のために作られた歌みたいに、櫻井さんの歌声は立体的に響く。誰もがあの日失われた、何万もの命と希望を思う。すると、まだ曲の途中なのだけれど、彼はややフェルマータ気味に、歌うのをやめた。

ひと呼吸の静寂のあと、サイレンが鳴り始め、そして、字幕が出る。

「2021年3月11日 午後2時46分」

櫻井さんはマイクから手をはなし、小林さんもピアノから手を引いて、その場で黙祷を始める。そこから1分間映し出されたのは、鳴り続けるサイレン、目を閉じるおふたり。

やがてサイレンが鳴り終わる。すると櫻井さんは目を開けて、おもむろに曲の続きを歌いだすのだ。

……このときの気持ちに、うまく言葉をつけることができない。「目を疑う」と「耳を疑う」と「ザワザワする」と「モヤモヤする」が一気に襲ってきた感じ。今、観たものは、いったい何だ。日常的な毎日の中で、大なり小なり、心を痛めながら生きるリスナーに、いつだって寄り添い、すぐそばにいてくれたあの人たちが、今、したばかりの表現について。

10年前の、あの時刻。あのサイレンが鳴っていた間、起きていたこと。すぐ隣で、これからも一緒に生きてくと思ってた誰かと突然、永遠の別れを強いられた人。この場所でこんなふうに未来を刻んでいくのだと、信じ切っていた明日をまるで反転させられた人。10年経っても終わらない悲劇に身悶える人。その人たちの叫びとも言うべきあのサイレンを、彼らは、

曲の「間奏」に、した。

自分たちの表現の、「パーツ」にしたのである。

とっさに思ったのは、こうである。サイレンの鳴り始めを、曲の前半を歌い終わったちょうど数秒後に持ってくるために、おそらく誰かが曲のテンポを測っただろう。「2021年3月11日 午後2時46分」のちょうど2秒前に、この歌の、このフレーズを、ぴったり歌い終わるためには、何時何分何秒に歌い始めればいいのか、綿密な計算とリハーサルを重ねたはずだ。

しかもその、サイレンの直前のフレーズが周到だった。あなたはきっと、別の姿で、同じ微笑みでまた会いに来てくれる。そんな祈りのフレーズをゆっくりめに置いたあと、ふっつりと歌唱は途切れて、サイレンがフェイドイン。

こうなるともう、私のザワザワは止まらない。脳みそは勝手に、この番組の企画会議を想像する。誰かが手を挙げて言う。「1番を歌い終わった瞬間にサイレンが鳴り始めて、そのまま1分間黙祷を捧げて、サイレンが鳴り止んだら続きを歌い出すってどうっすかね!」「いいねえ、それ!!」

あのサイレンが、「演出」の「小道具」に「使われた」——。

むくむくむく、と何かが湧き出す。これはどうやら憤りである。あわててツイッターを開く。「音楽の日」でとりあえず検索。すると目に飛び込んできたのは、大絶賛の嵐だ。

「涙が止まらない!」

「なんてすごい演出!」

「黙祷を挟むなんて神!!」

……どうやら、おかしいのは私のほうらしいのだ。あの「演出」に、日本中が泣いている。

もちろん、誰もが知るように、櫻井和寿の歌声は、遥かな祈りのかたまりだ。あの人はいつだって、ステージの上で、私たちの前で、祈りの化身、なのである。

だけど、これは。これは、ない。

あれから、ほぼ1日が経った。普通に出勤し、仕事をして、1日を終えて帰ってきた。SNSを検索しても、私みたいな感想を語る言葉はいまだどこにもない。やっぱり、あれは幻だったんじゃないかな!って一縷の望みをYouTubeに託したけれど、そこに上げられていたのは、私の記憶通りの『花の匂い』だった。

だから、これを書いたのだ。(2021/03/12)

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