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凄惨な現実を描く方法論とは『オッペンハイマー』

最初から最後まで、
オッペンハイマーの苦悩、
核兵器を作るべきではなかった、
しっかりしたアゲインスト作品にはなっている。

キリアン・マーフィーが、
『ピーキー・ブラインダース』のイメージが強すぎるが、
トミーの弱さを見せない役作りとは、違う一面を見せる、
その一面一面を、
カラーそのものの色彩、
RGBでいうとGの上げ下げ、
BSMYでいうとSの調整、
ネガティブな史実、
状況に沿ったマインドを、
カット毎に、
多面的に構築する。

劇伴音楽はいつものブオブオ・・ブオブオ、
洗濯機を回すような音は、
和音風に深層に潜っているよう。

解体からの構築、
キュビスムオッペンハイマー。
量子論、平和、映画そのものの解体、ノーランキュビスム。
のような本質は永遠の映画のテーマでもあり、
ノーラン自身も『メメント』から、
映画の表現の解体、再構築を常に試行、観客に新しい凄い体験をさせるひとりドドンパ(体験そのものも、スクラップ&ビルド)に挑んでいるが、
基本的には社会性には踏み込まない(『ダンケルク』もネガティブな社会性の成分は少ない)。

どうしても解体、再構築が、
現実社会と切り離せなくなると、
表現の自由度に制限が出てくるのも理由のひとつだろう。

対話のシーンのカメラの入れ方、芝居も見所のひとつ。

基本的にはノーランは、
他の作品でも手前人物入れ込みで、相手の正面を撮る。

しかし、

キリアンとマット・デイモンだけは、
ワンショットを切り返していく、、、その意味。

他にもマシュー・モディーンが出演している意味、
ケーシー・アフレック、
地下鉄の吊革パンチングボール男ジェームズ・レマーまでひとりひとり言及したい、

IMAXのスタッフは、
クレジットされているだけでも約50人、

絵を重視するならIMAX、
音を優先するならDolbyCINEMA、
がいいだろう。
もちろん座席の位置、
各スクリーンの設定でも多少の違いはある。

さすがはノーラン、
おもしろいアイデアにあふれている、
枝葉末節脱線が長くなり過ぎるので、
上記は別の機会にして本題へ。

ロス・アラモスでの、
実験の後の、
WE did it、
WEも気になるし、
didは何をどこまで、
itって、、、。

トルーマンの、
I didも、、、。

朝ドラの三淵嘉子さんも、
どこまでドラマ化するのか、
興味深い。

【蛇足】
映画で、
どこまで凄惨な現実を描くか、
抽象度の上げ下げの具体的な方法論は『サウルの息子』で書いてます。

オッピーのスピーチ、目の前の観衆が消えるシーン。
ノーランが実娘をキャスティングしたのは、
本作を撮る事の覚悟の現れのひとつだろう。

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