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人生の涼しさ

設置した当初から効きの悪いエアコン。
リビングが冷えてくるまでにかなり時間を要する。室外機に直射日光が当たるのも効きを悪くさせる原因らしくあてはまる。
日当たりが良すぎるせいかそもそも熱が籠りやすい建物なのかその両方なのか。
ともかくエアコンによって冷え過ぎることのないおかげで冷房によって体調を崩すということからは免れている。
今日の日中外は38°ということになっている。

仕事場の名前を変えて1年間週6で働いて来た。
良くも悪くも「労働」だと思っていないので仕事場へ行くのが嫌だったり辛いと思ったことがない。ただやっぱり週6で働いてたった1日の休みで家事をしたり人に会ったり読書したり身体の回復に充てたりといったこと全部カバーするのは無理があると思い始めた。確かに休みは休みなのかもしれないが少なくとも余暇としての休みでは全くない。

忙しさは無能の証拠、だと若い時から思っていた。忙しくしてる奴は人生に対する言い訳を人生そのものを使ってしてるのだと思ってた。本当に見どころのある人間は暇でなくてはならない。といった訳の分からない持論みたいなものが何処かにあった。今ではそこまでの極端な考え方はしないが若い時の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか。

自覚的に身体が辛いというより現実的に体調が悪いことが多くなりやっぱりこれは回復に充てる時間が足りてないのだと思うようになった。最近。が、体力をつけるためにジムに通うといった選択肢はない。ジムが昔から好きでない。ジムには何というか「痴呆的な空間」としての側面があるように思える。そのムードが嫌いなのかもしれない。とはいえ行ったことはないのだが。そして何より必要以上のカロリーを摂っておいてわざわざそれを消費させにジムでアホみたいな器具の上で走ったり漕いだりしてるのも馬鹿みたいだと思う。何故こんなに行ったこともないジムが嫌いなのかは良く分からないが。

体力の話から意味不明にジムへの嫌悪感の吐露になってしまったけれどやはり少し働き方を見直してもいいような気持ちに今はなって来た。

人は何も考えていない時に回復する。
別にそれには必ずしも休みが必要というわけでもないのだけれどともかくもう一度「暇」を獲得したい。少なくとも自分にとってはそれは大切な「人間であることの条件」なのだ。

効きの悪いエアコンが本当は普通の性能なのに多くの悪条件のせいでそう感じてしまうのか本当にただ単純に効きが悪いのかは分からないが
ようやく部屋が少し涼しくなって来た。

僕の性能の悪さも元々そうなのか色々な条件によってのものなのか。それとも不幸にも両方が重なっているのかは分からないが暇はきっと少し涼しいに違いないと思った。

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