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胞状奇胎日記【1】

これは私が「胞状奇胎」という病気になってしまった時の記録です。珍しい病気なので、同じ病になってしまった誰かのちょっとした参考になればという気持ちで書きます・・・

「ちょうど4週くらいですかね・・・」

思えばはじめから違和感があった。どう考えてももう5週に入っているはずだった。違和感の輪郭がだんだんと濃くなるように、診察の回数を重ねる毎に先生の顔は曇っていった。

3回目の健診で、今回は残念ですが、、、と伝えられた。予感がずっとあったせいか、あまり悲しくはなかった。赤ちゃんの姿が最後まで見えなかったのも大きな理由のひとつだろう。正直、この不安から解放される、とホッとする気持ちの方が何倍も強かった。

2ヶ月待って、またチャレンジすればいい。

通常の初期流産の場合、手術を受けた後、2回生理が来ればまた妊娠しても構わない。そう説明を受けた。けれど、先生の言葉はそれで終わらなかった。

「小川さんの場合、胎嚢の周りにモヤのようなものが見えていて、胞状奇胎という病気の疑いがあります。これは取り出した内容物を検査に出さないと正確な事は分からないのですが・・・とりあえずこの後一度血液検査をしてみましょう。」

胞状奇胎・・・?そんな病気があることをまるで知らなかった。受精時に、X染色体とY染色体が1対1で正しく対にならないとこの病気になってしまうということらしい。

そして、「まだ結果が出ていないので可能性としての話ですが、」と前置きしながらも、胞状奇胎であった場合、経過が順調でも術後最低1年は避妊しなければならない、と続いた。

1年・・・!その言葉をうまく受け入れられなかった私は、頷くこともできず、ただ唇を強く結んで、デスクに置いてあるカレンダーをじっと見つめることしかできなかった。31歳の誕生日を迎えるちょうど1ヶ月前である今日の日付が、追いかける様にして容赦なく私の心を抉った。

。。。

夫とロビーのすぐ脇にある椅子に並んで座って血液検査の結果を待った。約2年前、産まれたばかりの娘を慣れない手つきで大切に抱いて帰りのタクシーを待った椅子だった。私を流産の悲しみから救ってくれていたのは、紛れも無く娘の存在であったことにそこで初めて気がついた。

「普通の流産だったら、なんていうか、その・・・仕方ないかって思えるけど、癌?とかって言われると、結構落ち込むっていうか、不安になるね。。」

珍しく弱気な夫。そりゃそうか、癌なんて。胞状奇胎となってぶくぶくと葡萄のように水腫を増殖させている我が子は、そのままにしておくと子宮から体内に侵入し、絨毛がんになってしまう可能性を持っていた。

私を気遣って彼なりに言葉を選びながらもちゃんと本音を言ってくれる。無理に励ましたりせず、同じ温度で同じ場所に沈んでくれることの安心感。人間は横着な生き物だなとつくづく思う。こんな時にばかり、ちゃんと家族になっていた事を実感する。

血液検査の結果、hCG値は115,500mIU/mlと、通常の妊娠時のものに比べて明らかに高い数字が出た。高すぎるhCG値は、胞状奇胎の典型的な特徴だった。「うん、やっぱり、、胞状奇胎の可能性が高そうだね。。。」

「でも、115500だから、そんなに高すぎるって事もないから・・・」まるで自分の事のように悲しんでいるような眼差しで、不器用ながらも気持ちに寄り添って話してくれる、私より少し歳上の女医さん。下手な慰めで期待させないでよ、と思ってしまうと同時に、この先生で良かった、そんなことを思いながら家路に着いた。


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