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ある秋の一日(創作)

 4つ折りにされた1万円札を差し出した母の指先は乾いていて、「これ、弘恵さんから」と言う声はその指先以上に乾いていた。何も言わずそれを受け取って、もう伯母さんも知っているのかとうんざりした。まだ安定期じゃないのだからあまり言わないでくれとあれほど言ったはずなのに。母親の口の軽さ、というかデリカシーの無さに懸念はあったものの、それでもなお唯一母親にだけは言おうと決めたのは悪阻が本当に辛かったから。24時間続く吐き気と倦怠感と眩暈。憂鬱から解放される時間は眠っている間だけで、それ以外は永遠の地獄が果てしなく広がる。水の中に押し込められているような息苦しさがもう1ヶ月続いていた。バスが揺れる度、脳みそがぐちゃぐちゃと音を立てて掻き回されているような不快感に襲われて鳥肌が立つ。ぐらぐらと揺らめく視界の中、さわやかな初秋の風に撫でられる荒川は相変わらず深い藍色のまま横たわり、その水面に反射する白い光がこめかみを刺した。水を飲んでみても、目を瞑ってみても、何かが改善される気配は無い。
 「悪阻、酷いんだったら今日無理して来なくても良かったのに」
 気分転換になるかもと誘ったのは一体誰だったか。隣に座る母の乾いた手が私の背中をさすった。
 山門をくぐると、いくつかの群れをつくった彼岸花がそこここに点在している。ちょうど満開を迎えたそれらはストローのような茎をすらりと伸ばし、その先に6つ7つの大振りな花を輪生状に行儀よく並ベていた。鮮やかな朱色の花のひとつひとつから、それぞれ6本の雄しべと1本の雌しべが空に向かって長く伸びている。彼岸花の雄しべと雌しべはいわば飾りみたいなもので、3倍の染色体数を持つ日本の彼岸花は種子を作れない。その代わり彼らは分球、つまり自分のクローンを生み出すことによって繁殖していく。まるで線香花火をひっくり返したような姿のその花は、どれも見事な大輪で、まるでコピぺでもされたかのように不自然に咲き揃っていた。
 明らかに水を入れすぎたバケツを重たそうに母が運んで、歩くたびに水が透明なゼリーのようにぷるんと揺れた。雲ひとつない青空があまりにも青すぎて、銀色のバケツも、その中の水も、墓石も、コンクリートも、青く染まっている。お正月が毎年必ず晴れることを不気味がっていたけれど、そういえばお墓参りもこんな風に晴れている記憶しかない。というか、おばあちゃんが死んだ3年前の葬式の日も、馬鹿みたいに晴れで、眩しくて、頭が痛くなったんだった。私が結婚した時、一番喜んでくれたのはおばあちゃんだった。30で結婚した翌年のお正月、親戚一同が集まる中で堂々と「ひ孫が早く見たい」と言ったのも。だけど、母のデリカシーの無さと違って、そう言った彼女のデリカシーの無さはわざとだったと思う。周りに少し呆けた振りを見せた後、私にだけ目配せをして悪戯っぽく笑いかけてくる、そういうことをする人だったから。空気を読んで、その場に合わせた役を演じることが上手だった。
 あの時のあのセリフは明らかに母に向けられたものだった。中途半端にその遺伝子を受け継いだ母は、母親なりに空気を読んでか急かすような言葉を私の前で決して言わなかった一方で、ひとりで勝手にあれこれと心配した挙句、その泣き言をおばあちゃんだけでなく叔父さん伯母さんにまで漏らしていたらしい。結局、ほとんど陰口を叩くような形で周りにうだうだ嘆いているような状況が生まれ、そのことに私は腹を立てていた。おばあちゃんはそんな私の気持ちを察して、わざと皆がいる前でそう発言した。それでようやく母の陰口が止んだのだけれど、結局母は私を心配していると思い込んでいるだけで、自分の心配をしているだけなのだ。「また娘から頼まれちゃって」とか言いながら困った振りして孫を腕に抱きたいだけだ。そういうおばあちゃんになることが幸せへの唯一の道だと思ってる。私自身子どもが欲しくない訳ではなかったが、自分の人生がまた母の思い通りになると思うと嫌だった。そうやって母の願いを叶えることで、母を母自身の人生から引き離しているような気がしてならなかった。
 それからしばらくしておばあちゃんがお母さんのことを私に話した時、「あんたのお母さんはまだ子離れが出来てないんだねぇ。」と小さくこぼした後、おばあちゃん上手に育てられなかったかなぁ。と笑って、「でも、もうあんたは自分の人生を好きに生きたらいいから」と少し申し訳なさそうな声で言った。おばあちゃんは演技が上手すぎて、自分を犠牲にしていることを誰にも気付いてもらえなかったのだ。きっと、母には同じような人生は送って欲しくないと思ってきたのだろう。だったら、たとえ私を慰める為だったとしてもそんな風に母を諦めているような事を言って欲しくなかった。とはいえ、そう言わせてしまったのは紛れもなく私で、自分がこれまでいかに子どもらしく振る舞っていたかを思い知り、おばあちゃんの顔をうまく見ることができなかった。こうやって自由に拗ねたり腹を立てたりできるのは彼女達の愛情の内側にいるからなのだということにこの時まで私は気づけなかった。
 柄杓を持ち上げて静かに水をかけると、墓石を伝う水に太陽が反射してお墓が光っているようだった。線香の束に火をつけると大きな火が上がって、母の手がそれを振り消す。消し損ねた火を吹き消した母の顔を白い煙が覆った。墓の前にしゃがみ込んで手を合わせる母の背中が小さい。それを見下ろす私の手の中の線香は絶えず白い煙を上げ続ける。傾き始めた太陽が、青い影を引き伸ばしていく。目の端で遠くの彼岸花の赤が揺れている。私のお腹に子どもはいない。母はまだそれを知らない。
 そろそろ心拍が見られてもいい頃だという1週間前の検診で、胎嚢の大きさが成長していないどころか、胎嚢の中には何も入っていないことが分かった。はじめから子どもなんてできていなかったのだ。そればかりか胞状奇胎という異常妊娠の可能性を指摘され、一刻も早く手術を行うべきだと説明を受けた。胞状奇胎というのはXとYの染色体がうまく対にならなかった受精卵が出来てしまった為に起こる。胎盤を構成する絨毛が水腫のように膨れ上がり、異常なスピードで増殖していく。それらを放っておくと、絨毛がんに変化し、さらには子宮内の血管や筋肉から体内に入り込んで、全身に転移する可能性もあるのだという。だから、体内に侵入してしまう前に取り除いてしまいたい。悲しんでいる暇は無いと言われているようだった。明日、私はその手術を受ける。たちの悪いことに自覚できる症状は妊娠した時のそれとほとんど同じで、悪阻もあるし、お腹だって膨らんでくる。それは、赤ちゃんがいないと告げられた後も変わらず続く。朝、子宮が内側から広げられるような痛さで目を覚ます。得体の知れないものが体内で増殖していく恐怖と、これが赤ちゃんの成長によるものだったらどんなに良かったかという絶望は朝を迎える度に強度を増して訪れる。妊娠検査薬が陽性を示した時、本当に嬉しかった。まさか赤ちゃんが居ないだなんて思いもしなかった。毒を持った彼岸花の球根は、土の中で勝手に増える。1つ植えて放っておけば、おのずと群生が出来あがる。赤ちゃんのふりをして私を喜ばせていた異形の悪魔は、今も私の子宮の中で増殖し続けている。子宮内膜にへばりついて、私の中に侵入しようと根を伸ばす。
 母には全て終わったら話そうと決めていた。また余計な話をいろんな人に話してしまうだろうからという心配もあったけれど、それ以上にこの珍しい病気についての専門的なあれこれを説明する気力が無かった。ましてや癌だなんてワードが出たら、どうなるか。詳しく話をとかなんとか言って病院に電話しかねない。この悲しみは、私の悲しみなのだ。母に横取りされたくない。・・・なんて、34にもなってもまだこんな風に意固地になる自分も大概だと思うけれど。私はこの人に対して、一体何がしたいんだろう。私は、母に自分の人生を生きてほしいだけなのだ。もう私の心配をしないで欲しい。私の人生を生きようとしないでほしい。結婚もして家も出てるのだから、母と会ったり連絡を取るのはお正月やお盆の時だけにして、ある程度距離を置くことがスマートなやり方なのだろうけど、実の母親を諦めることはそんなに簡単なことじゃない。一方的に見限ってしまったら、その関係は終わってしまう。現在のストレスから解放されたとしても、また別のわだかまりがお互いの心の底で静かに生まれ育っていくだけだ。本音を言えば、私はまだ母に期待しているのだろう。お互いが自分の人生の中にいながら隣を歩くことはそんなに難しいことだろうか。香炉皿に横たわった線香の先からは相変わらず白い煙が立っている。私は掌を顔の前で合わせたままそれを見つめていた。この煙の登った先におばあちゃんはいるのだろうか。私のお腹にくる予定だった私の赤ちゃんもおばあちゃんの隣にいるだろうか。母も、私も、この世界も全部、いつか煙に溶けて無かったことになってしまうのだとしたら、今抱えている悲しみや葛藤は全て無意味なのだろうか。愛されることよりも愛することを体験してしまった時、人間ははじめてこの世に執着するのだろう。自分の人生を好きに生きたらいいからって、おばあちゃんは母に言えたのだろうか。
 バケツと柄杓を片付けに行く母の後ろ姿に向かって私は声を掛けた。こうやってわざわざ母とふたりでここに来たのはきっと、言い出すタイミングを求めてだったのかもしれない。「ねえ。」
 「え?」振り向いた母の何も知らない呑気な顔を見て、私はその先の言葉を決めていなかったことに気づいた。言ったら母はどんな顔をするだろう。私は、どんな顔をすればいいんだろう。「赤ちゃんいなかったよ」「流産だったよ」「手術することになった」喉元までやってきた候補たちはどれも、声になる寸前で悲しみに攫われてしまう。
 「あぁ、水もう無かったら外の自販機でまたなんか買おうか?炭酸水があったらそっちの方がいい?」
「ううん。」
「要らない。」
「そう。じゃお母さんだけなんか買おうかな。」
 山門の足元に群れる彼岸花は相変わらず快活に咲き誇っていて、その見事な瑞々しさは墓地にはまるで場違いに思えるほどだった。同じように墓参りに来ていた別の家族がちょうどそれを写真に収めている。「子どもの頃は彼岸花なんてただ怖いだけだったけど、大人になってちゃんと見ると立派な花なのねぇ。」その家族につられて写真を撮ろうとスマホを取り出した母が感心したように呟く。「あぁでも、あんたの子と一緒に来るようになったらちゃんと怖がらせて触らせないようにしなきゃダメよ、彼岸花には毒があるから。」ほら、せっかくだからあんたも入ってと母が私の腕をぽんと叩く。私はその真っ赤な花の群れの前にしゃがみ込んで母の方を向いた。太陽が真正面から眩しく私たちを照らし、白飛びした視界の中でスマートフォンを構えた母だけが群青の中にいる。「ねぇ、お母さん。」
 「何よ」母は画面に映った私から目を離さなかった。

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