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2020年を終えて、改めてお伝えしたいこと

新しい旅立ちの日を1か月後に控えて

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2020年もあとわずか。

今年は、あっという間に静かな時間ばかりが飛び去って行った気がします。

しかし、心の中はざわざわとした思いを、いつも抱えて。

去年思い描いた、新生サワディシンチャオのカタチ

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1955年生まれの私は、今年65歳。

2003年のこの地での開業以来続く、朝9時くらいから深夜24時過ぎまでに及ぶ飲食業の仕事は、いくら慣れているからといっても、体力的に辛くなってきていました。

そのため、今年春からは仕事量を半分くらいに減らそう。そうして、これまでサワディシンチャオを愛してくださってきたお客さまと、ワークショップやイベント等をしながら、楽しくワイワイ過ごしていこう。それが去年の年末に思い描いていたサワディシンチャオの姿でした。

それを実現し、その業態変更の意図を知っていただくために、クラウドファンディング を立ち上げたのは2月半ば。その頃、まさか今年の暮れに、日本がこんなことになっているとは想像もできませんでした。

コロナって、COVID19って? 去年12月から、ツイッターで情報収集を

情報収集の手段として、私が常時使っているのはツイッターです。ヘリコプターが音がするのはどうして?、どこかで地震が?など、何かあるといちばん情報が早いのはツイッター。もちろんガセも少なくないので、確認にちょっとしたコツは必要ですが、かなり頼りにしています。2011年の東日本大震災の頃からだったかな。地震のこと、福島原発のこと、それから放射能回避の手段へと。仕事柄、日本だけでなく、東南アジア、東アジア、他の国の最新情報を集める手段としても、現地在住などの詳しい方たちが最新情報を届けてくださるので、かなり重宝しています。

そこで気になったこと、去年12月くらいに、中国で原因不明の肺に関する病気が出ているとの情報。年を越えてから武漢の騒動が始まり、2月に春からの、思い描いた新生サワディシンチャオの仕入れのためにミャンマー・ベトナムに行くことになっていた私は、「ちゃんと行けますように」と祈りながら、ずっとツイッターに張り付いて、武漢を中心としたCOVID19情報を収集していったのです。

まさにギリギリだったミャンマー・ベトナム仕入旅

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移動の飛行機ではマスクと消毒剤、伊達眼鏡を忘れず。中国情報として、感染機会のひとつと言われた機内トイレの使用も注意しながらと。ミャンマーもベトナムでも、テレビでCOVID19情報を流し、国民に注意を促していた様子、そしていろんな施設を利用する前の消毒、検温などの厳格さ。上の写真は、ヤンゴンから電車で1時間にあるモン族の工房ですが、実はしっかりマスクをにぎりしめての訪問でした。

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だから、2週間の帰国後の日本の無防備さには、かなり驚きあきれたというのが本音です。

それが年末にも引きずっているなんて((+_+))

3月は最後のディナーで毎日予約一杯。それがー

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4月からは、これまでのような現地ティストそのままの、力を120%出し切ったお料理作りは気が向いた時に。なので、3月は2019年から予約がたくさん入っていて満席状態。年を越えてからのご予約はお断りせざるおえない状態でした。

それが、大阪もどんどん感染者が増加している状態になって来たので、前半はグループのお客さま、中盤にはお友達同士、下旬はご家族までの範囲でご予約を延期していただくお願いをしていきました。

皆さん、サワディシンチャオの料理をもう1度と、とても楽しみにしてくださっていたし、そうお願いするのはほんとうに心苦しかったです。そうして、延期のお約束を感染拡大で実現できなかったことも、本当に申し訳ありませんでした。

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6月に伸びた新生サワディシンチャオの開店

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新しいサワディシンチャオは、4月18日に開店させたいと思っていました。だけど、4月からの自粛要請のために、6月3日(水)からに変更。4月5月の2カ月間は、18年間の汚れを落とすこと、新しく始める雑貨や食材販売コーナー、そしてコロナ対応のための席作りをひとりで。

先行して5月にBASEでの通販も開始。そうして始めた新生サワディシンチャオでしたが、ご存じのとおり、なかなかコロナ渦は収まらず。コロナ感染に、マスクを外しおしゃべりに花を咲かせる飲食が大きな原因となっていることは、明白な事実。人の集まるワークショップやイベントについても、なかなか難しい。

去年末に思い描いていた私の新生サワディシンチャオは、いつになったらできるようになるのだろう。そう思う中で、このまま飲食店を続けていけるのかという疑問がふつふつと芽生えてきました。

それと同時に、北心斎橋のこの場所が、ほんとうに終の棲み家になりえるのだろうかと。

窓の外を見ると、自粛期間、その後もずっとマスクを外してはしゃぐ酔客たち。この2mにも満たない路地に4軒の居酒屋やバーがあり、そこのにぎやかさが窓を閉めていてもはっきりわかります。

ビニールカーテンでサワディシンチャオのエリアは死守しているとしても、正直言って彼らの発するエアロゾルは怖い。毎朝、ビニールカーテンを濃度の濃いアルコールで消毒し、1歩外に出る時は、マスクや伊達眼鏡で武装する毎日。

店がなくても料理はできるし、教えることも可能。さぁ、新天地へ行こう。

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そんな最中、なぜか家人と「次に住むのがどんなところがいい?」という話をすることが増えました。

もし私が何らかの身体的事情でサワディシンチャオを続けられなくなった時、家人が店舗を維持して行くことは不可能です。だったら、この状況下なので、住まいにかかるコストを下げておくのもひとつの手かもしれない。

どんなところがいい?

水辺が近くにあるといいな。緑いっぱいの公園のそばがいい。でも大阪中心部へのアクセスの良いところ。南海トラフがもし起こっても、影響が少ないところ・・・・・

複数のお友だちが移住しているなど、最近増えている古民家住まいも考えました。どんなところにいくらで物件があるのか、そしてリノベーションはどういう風にしているのか、情報を集めていきました。確かに自然もいっぱいで畑で自給自足もできそう。でも、いちばんのネックは車移動が不可欠ということ。

そうして出会ったのが、レトロ団地というキーワード。この大阪でも8月に募集があることを知りました。

とりあえず応募してみようか?

それで当選したら、行きなさいということ。

外れたら、北心斎橋でもう少し頑張りなさいということ。

募集している団地をひとつずつグーグルマップで確認しながら、候補地を選びました。

未踏の地だった奥河内。私の終の棲家になるのかな

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65年生きて来たのに、一度も行ったことが無い場所、奥河内。

築50数年という、家人よりも年長の団地。

なのに、応募した瞬間から、なぜか私はここに住むんだという気がしていました。ほんと不思議。

初めてその団地を見に行ったのは、夏の終わりのこと。抽選結果を待っている時でした。

周囲2キロ強という、お散歩にうってつけのため池公園が直近。駅から向かう道も、緑の溢れた静かな住宅地でした。

いいかも。いいかもね。

公園のベンチに腰かけて、家人と顔を見合わせて話し合ったものです。

サワディシンチャオは、ここでなくても続きます

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そうして、私の予感通り、11月の初めにその団地への入居が決まりました。

サワディシンチャオの北心斎橋の店は、1並びの2021年1月11日までとしました。

店の場所は無くなっても、これからも体の続く限り、私は料理を続けて行きます。

2000年に初めてベトナムに行って東南アジア料理の奥深さに感動してから20年。

東南アジア10カ国で習い続けた各国の料理を、私の頭の中に置いたままで終わらせずに、これからも伝承していきたい。

そう思っています。

これまで店に縛られてできなかった出張料理教室、そして別の場所でのお食事会。

そして、前職のライターだったスキルを活かした料理レシピ本の制作。

新しく、料理動画なんかも作ってみたい。

お友達を招いてのお食事会も、商いのはざまでできなかったことのひとつ。

2021年にやりたいこと、したいことが、山のように出てきます。

2020年、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします

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サワディシンチャオを新しくと思っていたことから、路線変更が決定するまで、心の中で迷走を続けていた私。

ポジティブの塊のように65年生きてきた私ですが、春から夏にかけて出てくる言葉の、なんとネガティブだったことか。

それでも温かく見守って下さっていたサワディシンチャオのお客さま、お友だち、ネットのお仲間たち、そして家人など。ほんとうに多くの人たち。

2020年の終わりに、改めてお礼を言わせてください。

ほんとうにありがとうございました。

来年は、新しい地でがんばる!

見ていて!







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