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メンターチェンジして?

一部の熱狂的なファンのご要望に応えまして、今回も人生の棚卸しシリーズをお送りします✨

26歳で2度目の転職をしました。
白のフルレングスと麻素材のノーカラージャケット。転職初日の記憶は今でも鮮明に覚えている。そこそこ営業成績の良かった私は立派に天狗になっていたこともまた、あの頃の甘酸っぱい思い出でして。

転職先は、80名程度で受付は6畳ほど。10階建の雑居ビルを2フロア借りていた。初日は月末の成果報告会があり、月次売上を見て「桁減ったな〜(前職比)」と言う気持ちと、やってやった!と誇らしそうに紙コップのシャンパンを配る社員達を生々しく覚えている。(今思えばめちゃくちゃ伸びてるので、世間知らずの自分が恥ずかしすぎる)

シャンパンのくだりが終わり、自己紹介を済ませて自席につく。右隣は、一個上の男性社員で可愛い顔立ちに似合わずMr.負けず嫌いで、ウェルカム感を微塵も出さない。感じわる〜。
左は、メンターの先輩で、歳は6つ上だった。

あいつより先に帰るのはシャクだった。
我慢比べのように、私たちはいつも遅かった。六本木のど真ん中にいるのに、たいして店も知らなかった。先輩は、キャンキャン張り合う私たちをいなしてくれていた。もっと肩の力抜けよ〜と、長距離走スタイルのマネジメントだった。あいつより早く、たくさん成果を上げたい私は、それが歯痒くて歯痒くて、先輩が手を抜いているように思えて日に日に苛立ちが募っていった。

先輩は覚えていないだろうけど、転職から半年が経とうとしたある日のミーティングの後、私は泣きながら「あなたの下が嫌だ」と言った。メンターチェンジ事件だ。

もっともっと成長したいのに、穏やかに返される全ての応対が許せなかった。私と同じように焦って欲しかったんだと思う。なんだそりゃ。

先輩の大人力により、その場はいい感じで収めてくれたわけだけど…私はどんな顔で翌朝を迎えたのだろうか。全く覚えていない。

自分の成果が泣くぐらい悔しかった。メンターのせいにするくらい自分の力不足に苛立っていた。立派に責任転嫁して、あなたのせいで私の成長が遅いと訴えたのだった。すごい!笑

その後、事業成長と共に一生の友も多くできた。朝から晩まで、休みの日も共に時間を過ごした。何がそんなに楽しかったのか、常に心のエンジンがかかっていた。

そこから4年と少し経って、80名から1000名超に成長した会社を退職した。先輩と私は別部署で、なんとなく自分がスポットライトを浴びることが増えていた気がするが、Mr.負けず嫌いと、先輩と、私とで上品な食事会を開いてくれた。その頃には、少ーしギロッポンの飲み屋さんも覚え、少しは大人になっていたつもりだけど…先輩からは相変わらず血の気の多い2人に見えていたのかもしれない。

小さな扉から屈んで入る個室で、先輩も私たちも場違い感はなかったと思う。先輩は、作戦通り?私たちと差を広げて遠くまで歩みを進め、今でも素敵なニュースを纏っている。

今、私は当時の先輩の歳を超えている。
メンターチェンジは辛いのでアレですが、若人の皆んなには先輩の懐を借りる力について是非おすすめしたい!そして、私もまた先輩の偉大な轍を思い出し、感謝し、伝えていきたいと思う🌱

若人よ、メンターチェンジさえ笑い飛ばしてくれる先輩がいるのは幸せだぞ!是非一度試してみては。

なーんて👋

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