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【水島予言#01】1974年の高校野球と、1973年の水島新司

 1974年。それは野球界にとって一つの分水嶺ともいえる年だ。プロ野球では読売ジャイアンツのV9時代が終焉し、「ミスター・プロ野球」長嶋茂雄が引退。その一方で、王貞治は史上初の三冠王を達成。プロ野球の打の主役が明確に入れかわる年となった。
そして高校野球ではこの年、金属バットの使用が解禁。今につながる「打高投低」時代のはじまり、といえる。もっとも、初年度は多くの学校で金属バット化に対応できず、木製で出場した選手がほとんど。この年夏の甲子園を制した銚子商業の4番、篠塚和典(当時2年生)も「手の感覚にあわない」と木製バットでの出場だった。
 そんな変革の年を目前に控えた73年12月。野球漫画の金字塔『ドカベン』が本格稼働。中学野球編が終了し、明訓高校を舞台にする「高校野球編」へ。中学までは木製バットで何度も折りながら試合をしていた山田たちも、明訓入学後、手にするバットはいつの間にか金属バットに。ホームラン量産時代への波に乗って、打高投低時代の象徴的な存在となっていく。このタイミングの妙こそ、水島新司の神通力といえる。


 そもそも、『ドカベン』の連載が始まったのは1972年4月。ただ、連載当初に主人公・山田太郎が打ち込んだスポーツは野球ではなく、柔道だ。そのため、少年チャンピオンコミックスでは「学園コミックス」として明記され、連載開始から野球(中学野球編)を始めるまでに1年3ヶ月、高校野球を始めるまでにはさらに1年以上待たなければならなかった。
 だが、このタイムラグが功を奏し、山田世代は高校入学後、初期の段階から金属バットを手にすることができた。甲子園通算成績は打率7割5分、本塁打20本という数字を残し、“高校野球マンガ史上最高の打者」”と呼び声高い山田太郎の成績も、悪球打ちで場外までかっ飛ばす岩鬼正美の豪快打法も、木製バットでそれをやられてしまっては現実離れが激しく、興ざめしてしまうもの。しかし、金属バットが当たり前の時代になり、打球の飛距離も打球速度も飛躍的に向上していく時代の流れを受けることができたからこそ、リアルと虚構の狭間で「こんなすごい打者になってみたい」「山田みたいにホームランを打ってみたい」と野球少年たちに思わせたリアリティに結びつけることができたのではないだろうか。

 ではなぜ、ドカベンは当初「柔道漫画」としてスタートしたのか? これは人気が出なかったからの方針転換ではなく、もともとの計画通りであり、連載依頼も「野球漫画」として来たことを語っている。だが、そこで影響したのが先に連載していた野球漫画の存在だった。

野球漫画は以前からずっと描きたかった。そもそも野球選手になりたかったくらいですから(中略)いけると感じたのが『男どアホウ甲子園』です。これが受けましてね、四年続いたんですが、秋田書店からうちにも甲子園を舞台にした野球漫画を描いてくれと頼まれたんです。だけど、どちらも週刊誌だし、同じ高校野球漫画を描けば、必ずどちらかに思い入れが強くなるからと、断ったんです。一年待ってくれれば『男どアホウ』が終わるから、それから始めたいと。でも、どうしてもやってほしいということで、スタートしたのが『ドカベン』なんです。ですから『ドカベン』の初めの一年は野球ではなく、柔道漫画になっていて、しかも中学三年という設定です
(小学館『本の窓』95年5月号)

 こうして始まった「柔道編」。ただ、当初から野球への伏線が張られていたため、いざ野球漫画へ転身は自然な流れだったのだ。


 ちなみに、先に紹介した「ドカベン連載開始」に至るエピソードでは、山田太郎と岩鬼正美のキャラクター設定についても紹介されている。
 実は、主人公・山田のキャラについては、「目が細すぎて太った角刈りの男なんて地味すぎる」「顔もマスクで見えない捕手が主人公なんて」と、編集部からボツを食らったという。そこで生まれたのが対になる岩鬼の存在だった。

私の漫画は必ずキャラクターから入っていきます。『ドカベン』の場合、山田太郎と岩鬼です。この両極端なタイプは、そのまま野球のポジションを表しているわけですよ。地味で動きが少ないが、チームの要である捕手と、派手で華のあるポジションであるサード。そう、ちょうど昔の長島と野村です。普通ならキャッチャーが漫画の主人公というのはやらないですよ。だけどこの地味な主人公に岩鬼というとんでもないキャラクターを登場させ、からませていくことで、面白さが倍増していくわけです。(中略)岩鬼は最高のキャラクターです。これまでの私の作品のなかでも最も愛着のあるキャラクターなんです。(小学館『本の窓』95年5月号)

 岩鬼という、荒唐無稽で「悪球打ち」しかできない、まさに“マンガのような”キャラクターを脇に固めつつ、主人公ドカベンはあくまでも正統派。小細工は一切せず、常に堂々と力対力の勝負に挑み続け、勝ち続ける。『ドカベン』以前、魔球が全盛だった野球マンガの世界のなかで、『ドカベン』という作品が極めて大きな人気を獲得できた要因こそ、この「リアリティ」の追求と「マンガ的な味付け」のバランスが最適だったからだろう。

 そして何より、正攻法の山田、悪球打ちの岩鬼、両極端な両雄がいるからこそ、バットマンの魅力を存分に発揮することができたのだ。それにしても、長嶋茂雄と野村克也が同じチームにいたのだから、そりゃ明訓は負けなかったわけである。

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70年代のプロ野球、高校野球の出来事で、先に水島野球マンガが描いていた予言的なエピソードを紹介します。

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