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令和元年房総半島台風のその後で②

台風一禍僥倖

台風が過ぎた翌日も営業していた。かなりの区域で停電が発生していた。ただ、僕の家も、僕の店も、奇跡的に停電は免れた。また、2階においてあった楽器たちもその場所だけはほとんど濡れていなかった。屋根から滝のように落ちる茶色の雨水で機能を停止したPCも、電源を入れずにそのまま乾かし、後日普及する事になる。不幸中の幸いとは正にこの事だった。

商人道中厳守

いつかの台風で屋台が倒れて、ソースや麺が飛び散ったあの日も、屋台をバイクで引いて帰る真夜中に、うしろから車に突っ込まれて、体ごと吹き飛ばされ、屋台が大破した次の日も、東日本大震災で、世界中が混乱していたあの日々も、僕は店を休まない。28のあの日、商人道を歩くことを決めたから。まぁいろいろあったなぁ・・・それもまたいつか、どっかに書くのかな。

そんなこんなで、台風一過の次の日も、店を片付けながら営業していると、外国人が3人程で飲みにきた。まだ9月も始まったばかり。暑い日は続いていた。泊っているホテルの冷蔵庫も効かないようで、冷たいビールがうまかったようだ。とても喜んで帰って行った。

台風一過翌晩

その夜の事。また外国人が数人で来た。すると、また数人、また数人。最後は20人以上が僕の店から路上まで溢れて飲み始めた。外にテーブルを用意して、大宴会が始まった!どんどんビールが無くなった。そして、ギターを弾いて歌ったり、僕もディジュリドゥで参戦して、みんなで大合唱した!

そう、彼らは、昨日幕張で開催されていた「2019年レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ 千葉」のパイロットやスタッフたちだったのだ。近くのホテルに泊まっていたらしい。昨日陸から眺めていた飛行機野郎が、今この場所で飲んでいるなんて、なんの因果かねぇ・・・

台風から暫くは売り上げガタ落ちだったけど、この日ばかりは稼がせてもらったよ。そして気のいい奴らだった。ナイスガイっていうのかな。

禍去未知未智

だけど、それらは、これから起り来る更なる試練の始まりだったんだな。そんな事知る由もないあの日の僕は・・・

公衆トイレの帰り道、バスのヘッドライトが灯る夕暮れ時、木更津駅東口のロータリー。いつかの僕と通り過ぎる少年がオーバーラップしてゆく・・・

センチメンタルな感情は歌詞となり、台風復興の作業や毎日の営業に追われる日々が入り混じる中で、メロディーが紡がれた。

かつて経験したことのない台風だった。僕たちの文明の影が、この異常気象だとすれば、昔は良かったななんて、思っていたんだろうか?そんな子供たちの未来を憂いていたのかもしれない。通り過ぎるテールランプから、中島みゆきの悲しげな声が聞こえていた・・・

移ろう時の中で・・・この曲も同時期に作ったんだ。

令和元年房総半島台風のその後で③へ続く・・・

この度もご購読ありがとうございました。

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