P. A. ミヒェリスの「パトラの教会堂」

 P. A. ミヒェリス(Παναγιώτης Α. Μιχελής)はギリシャの建築家、建築理論家で、アテネ工科大学(NTUA)で長年教職に就いていた教育者でもある。日本では吉田鋼市による訳で『建築美学』(南洋堂書店、1982)が出ていて、これは『Η αρχιτεκτονικη ωσ τεχνη』(版元不明、私家版?1965)のジャン・クシディアス(Jean Xydias)による仏語訳『L'Esthétique de l'architecture』(Klincksieck、1974)からの重訳となっている。ちなみに自分が探した限りではこれ以外の日本語文献はない。
 ミヒェリスの著作では他にも『ビザンチン・アートの美学(Αισθητική θεώρηση της βυζαντινής τέχνης、英訳:An aesthetic approach to Byzantine art、仏訳:Esthétique de l'art byzantin)』や『コンクリート建築の美学(Αισθητική της Αρχιτεκτονικής του Μπετόν Αρμέ、仏訳:Esthétique de l'architecture du béton armé)』など多数ある。ミヒェリスの経歴、翻訳の経緯などについては『建築美学』の訳者後書きに詳しい。建築作品も「パトラの教会堂」以外にいくつかあり、大学講堂のデザイン(インテリア改修)などがあるとのこと、詩作もする教養人だったようである(『建築美学』が手元になく、この作品がどんな名前で説明されていたか失念してしまっており、「パトラの教会堂」と仮に書いている)。

 そしてこの訳者後書きには、この「パトラの教会堂」がギリシャ初のRC造の近代建築であるというようなことが書いてあった。この作品は『建築美学』のカバー(訳書のみ)に使われている写真、図面のもので、フォルマリズムっぽくて格好いいと学部の頃に思っていた。当時色々と検索してみたのだけどなかなか情報がなくて全く忘れてしまっていたが、最近ギリシャ旅行をしたので、ふと思い出して調べてみた。
 「First greek RC church」やら「Michelis Church」やら検索してみたのだけどなかなか教会堂のことがヒットせず、試しにギリシャ語でミヒェリスのことを調べたらWikipediaに教会堂のことが書いてあり、(しかもGoogleで英訳しているので信憑性がかなり薄いが)1993年の地震で取り壊されたと書かれている。ここで教会の名前が「Ο Ναός της Αγίας Παρασκευής」ではないかと分かり、「Ο Ναός της Αγίας Παρασκευής Patras」で検索すると下の画像がヒットした。
 ちなみに1993年の地震というのはおそらくこの論文に書かれているパトラを襲った地震で、要旨によると複数の余震があったそれなりの規模の地震だったらしい。

「パトラの教会堂」の現在の様子と思われる(出典:Την προσεχή Τρίτη 26 Ιουλίου γιορτή της Αγίας Παρασκευής τελεί την ετήσια πανήγυρη ο Ιερός Ναός του Α' Δημοτικού Κοιμητηρίου Πάτρας | Αρχική E-patras.gr

 地震で取り壊されたにしてはオリジナルの状態にかなり近いように見える。オリジナルは書影で確認できるのだがドーム頂部に十字架すらなく、かなり無装飾に見える。しかし増築された形跡もなければ、かなり手入れが行き届いているようにも見える。

 この画像でもう少し調べてみると以下のサイトがヒットした。
Ανοίγει σήμερα και πάλι ο ναός των Αγγέλων στο Α' Νεκροταφείο Πατρών 

2019年のニュース記事の画像(https://newmedia.thebest.gr/i/w785/sasnsnxsvh5dc1b5b240779.jpg

 これもGoogleを通して翻訳しないとわからないのだけど、2019年11月7日のニュース記事で、教会堂が再オープンしたという見出し。2019年7月1日より閉鎖、改修工事があったようで、約19年前にも改修工事が行われていたというようなことも書いてある。
 つまり、地震があったからといって取り壊されていたわけではないというように書かれている。

 しかし、もう一つヒットしたニュース記事があり、こちらにはさらにまた食い違うようなことが書かれている。
Πάτρα: Ολοκληρώθηκε η ανακαίνιση - επισκευή του Ιερού Ναού Αγγέλων (φωτο) | Patras Events

2020年のニュース記事の画像(https://www.patrasevents.gr/imgsrv/f/full/3553113.jpg

 この記事は2020年5月8日のニュース記事で、これにもまた教会堂の改修が終わったと書かれている。半年のうちに2回も改修工事をすることになるのはあり得ないことではないとしても、こちらの記事には40年ぶりの改修であると書かれている。この記事に依拠するのであれば、地震によるダメージは全く問題なかったことになる。
 確かに平屋建てのRCの教会堂(むしろ墓地の聖堂みたいに見えるが)なら地震の被害が改修するまでもないというのはあり得るように思う。

 ここで考えられるのは、2019年の記事と2020年の記事が別の建物の改修工事のことを書いているパターン、あるいは同じ改修工事について書いていて記事の日付が配信時期などになっており半年間ずれている(かつ19年前には同じ墓地の別の部分で改修が行われており、この教会堂自体は40年ぶりの改修であった)というパターン、あるいは全部嘘という3パターンが考えられる。
 なんにせよやはり、Wikipediaの「地震によって取り壊された」という記述はおそらく間違い、あるいはGoogleの誤訳であって、ニュース記事で見ることのできるものは、ある程度、少なくとも構造体はオリジナルではないかと思う。

ちなみにこの教会堂をGoogle Mapで見てみると改修はされているがやはりオリジナルにかなり近い状態で残っているという気がする。

 というか墓地の聖堂のように見えると書いたけれど、正教会では現在もこの平面形式で作られている気がしてきた。ギリシャ旅行では教会を一つしか見学しなかったのでよくわからないけれど確かに街中で見かけたものはどれも集中式だったし、というか神田のニコライ堂とかも集中式だった。

 ちなみにミヒェリスが長年教鞭をとったNTUAは比較的遅く1970年代にかなり激しい学生闘争があったらしいが、ミヒェリスはかなり若く69年に亡くなっているので直接の関わりはなさそう。NTUAでは1844年までいわゆるお雇い外国人が勤務していて、その後戦後までは外国で建築を学んできたギリシャ人教員が多くいたらしい。ミヒェリスもドレスデンで建築を学んでいる、この辺りはなんとなく中村順平と似ている感じがした。また、このあたりの建築教育事情は少し日本や中国に似ている。
 さらに、ギリシャはヨーロッパではベルギーとともに、戦後の復興期にアメリカの政策の影響を強く受けた国の一つだそうで、戸建て住宅が多くみられるらしい、これも日本と似ている。もっとも、戦後すぐ内戦が起こったギリシャの状況と、GHQの指導のもとで復興へ向かった日本では全然状況が違うのだけど、アテネも市街地のはずれの方に行くとかなり日本のロードサイドと似た光景が広がっていて、特に密度が似ているような感じがした。

めちゃ環八とか戸塚あたりの国道1号線っぽいよな〜って言いながら歩いてた

 ギリシャめちゃくちゃ面白かったので行ってみてください。今回行けなかったのでパトラまで行くことがあれば、誰でもいいのでぜひ感想を聞きたいです。

参考:
P. A. ミヒェリス著 吉田鋼市訳『建築美学』南洋堂書店、1982年
Georgoulis Dimitri「アテネ工科大学建築学部の教育(世界の建築教育70)」『建築雑誌』日本建築学会、1997年7月、p36-37
Orestis B Doumanis『Post War Architecture in Greece 1945-1983』Architecture in Greece Press(Athens)、1984年

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