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寝る前ラジオ【ぷろおごツイキャス文字起こしvol.3】

この記事は2021/04/11に収録されたプロ奢ラレヤーのツイキャス「寝る前ラジオ3」の文字起こしです。スペシャルサンクス:ぷろおごニュースさん

はいどうも。寝る前のチルタイムということで。

この配信は、ぼくが寝る前の暗い部屋で、じっと頭を休めながら、一日を振り返ったり、ふと思いついたことを放言するラジオです。


そういうチルい時間を設けようということで、できる時にやっていこうと思います。

できれば毎日やっていきたいんだけど、なかなか難しくて、今日はちょっと、強引に整えてやってます。

ほかのコンテンツ見るひとは「あれ?なんかいつもとちがくね?」と思うかもしれないけど、こういうチルい感じでやっていこうかなと思ってます。

よろしく。

でね、いつもどおりコメントも見てるので、よかったらコメントも書いてってね。

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今日はたくさんゴミが撮れたからよかった。

ゴミをたくさん撮れる日ってのは自分の調子もいい。
自分の調子、パフォーマンス、そういうものを測るためにゴミの写真を撮っているところがある。
毎日のように写真撮ったり、何をするかはなんでもいいんだけど、毎日同じことを繰り返している時の日々の変化っていうのは、「自分」の変化のことだよね。

最近のぼくはボルダリングとか、ひとりで壁のぼったりしてる。
ボルダリングってコースがあるんだけどさ、おんなじコースをすんなりとのぼれる日と、のぼったら疲れる日と色々あるんだよね。

コース、壁のほうは何も変わってないわけで、変わっているのは自分のパフォーマンス、それは例えば身体的な疲労感であったり、脱力感、はたまた精神的な力みであったりする。

同じものを繰り返しやっていくことで、日々のちょっとした変化が観測できる。

このラジオも、毎日寝る前にやっている「同じこと」で。ぼくは目を閉じてただ頭に浮かんだことを外に出しているだけ。

コメントで多少の刺激を外からもらうんだけど、頭に浮かんでくるもの、っていうのはぼくの調子、状態そのものなんだよね。

こういうチルタイムは、ぼくのために重要で、それは人にきかせるものではないんだろうけど、そもそもぼくは全部自分のためにやっていて、ゴミを垂れ流してるだけなんだよね。

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>(ゴミではなく)綺麗なものを見る方が精神には良くないですか?


綺麗なものを見るかぁ。「綺麗なもの」って「誰が見ても汚くないもの」、「誰が見たってそこそこには感動するもの」なんかだよね。
そういうものは、たしかに精神衛生にはいいと思う。誰が見たってそこそこのものなんだから。

ぼくにとって、それは精神における「無菌室状態」みたいなもの。
あまりにこう…なんていうかな。それだけでは何か違うのよね。


「アルコール消毒!」
「マスクして、ひととの接触を避けて!」

いまの現代のコロナ騒動でもそうだけど、その日その時間っていうのは安全かもしれない。でも、人間っていうのは免疫っていうのがあるわけで、無菌室にずっといたら免疫は獲得できないでしょう。


ゴミっていうのは「誰が見ても美しいもの」ではないし、「誰が見たっていいもの」でもないのだろうけど、ぼくは「いいなぁ」と思える。

「他のひとが価値を認めないもの」だとしても、率直に自分がいいなぁと思えるものが大切で、ぼくの感性がゴミを「いいもの」としている。

「美しいもの」の対極として、あえてゴミを愛でているわけではなくて、ただ、ゴミがぼくを魅せる。

それは体裁や外部的な価値観からはずれたものだけが持つグロテスクさだったりするのかもしれない。

ぼくの精神にとって、ゴミはいいものなんだろうね。

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>今日はあざした。楽しかったです。


あらら。さっき一緒にゴミ撮ったひとね。
写真…写真っていうのは面白いもので、ぼくはあんまり写真を長くやってなくて、なんならまったく写真を撮らない人間だった。

プラハなど観光名所に行っても、撮った写真は3ヶ月滞在して3枚だった。

そういうタイプの人間だった。
それが、半年前ぐらいにSIGMA fpというカメラを入手した。
カメラを持ち運んでると、その重みがぼくに存在を主張してくる。

カメラに「撮れ」と言われてるような気がして、「いいな」と思った時には、自然とカメラに手が伸びるようになった。

撮るようになってから変わった部分もある。
「撮る」という儀式をする。

人間は、動物とちがって儀式をする生き物で、儀式をしていくことによって、ただの動物が人間に擬態することを覚えていく。人間は儀式を繰り返すことで人間性みたいなものを獲得するようになるのかもしれない。


「写真を撮る」というのは、ここ半年くらいで見つけたものの中で、ぼくにとっては重要な儀式になった。まぁゴミの写真しか撮らないんだけど。



>好きな音楽聴くのもアリ(チルい)

そうね、ひとによって頭の整理の仕方は違うから、何がチルいのかも違うよね。
ぼくは耳が過敏で雑音が苦手だからさ、無音のほうが好き。
できるだけ聴覚から入ってくる情報を遮ることで、自分の孤独をつくっている。

大体のひとは視覚情報が優位だと思うんだけど、ぼくはかなり聴覚情報が優位なんだよね。

目は閉じれる。でも耳は自力で塞ぐことはできないから、最近は「ハードウェアチート」をしている。

そう、耳栓を入手したんだけど。これがすごくいいッ!!

耳栓をするようになってから、こうクッと、集中して深掘りしていくような頭の使い方が非常にスムーズにいくようになった。
たぶんADHDの薬とかもらうと早いんだけど、その前に手軽にできるから聴覚を遮ってみた。

耳栓をほんとに重宝している。いいよね。ハードウェア大事だから。

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>動画は撮らないのですか?

動画はあんまり撮ってないかな。ほんとにゴミの写真しか撮ってない。
ぼくは池袋とか都心部行ったときに撮ってるんですけど、さっき見たら1,000枚くらいあった。
「写真そんなに撮らなかったのに、撮り始めたら半年で1,000枚撮るんだ」と思った。
本業のひとはもっと撮るらしくて、すごいなぁとも思った。
ぼくはあんまりカメラの扱いは強くないというか…
さっき、「シャッタースピード125まではオッケー」とかそういうザックリした話をきいて「へ〜」って言ってただけの人類で、全然詳しくないんだけど、最近は非常に楽しくやってるかな。



>ゴミだけで1,000枚はすごい

そうね、考えてみたらゴミだけで1,000枚ってすごいね。ゴミ縛りで1,000枚だもんね。

>AirPodsのワイヤレスは疲れますか?

ああ、そうそう。ノイズキャンセリングね。あれダメなんだよ。
ノイズキャンセリングって、外の音に対して反対向きの波長の音を流して、それで打ち消すものでしょ。
あれってちょっとラグがあるのよね、ほんのちょっと。

性能がいいと、そのラグはちっちゃいんだけど、だけどラグはあって、自覚はなくても耳には届いてるんだよね。
それがぼくは疲れる。

耳が「聞こえるから疲れる」っていうよりは、耳の中でなにか情報処理が行われることがダメで、ノイズキャンセリングは情報が入ってきちゃうし、なんなら情報処理が倍になる。

だからめちゃくちゃ疲れるので、使ってないかな。

ぼくにはノイズキャンセリングはダメだった。単純に耳栓したほうがいいってことに気づいた。


できるだけ情報を遮断しないと、ぼくは頭が回らないようになってるみたい。
普段、くつ下履かないんですけど、それもそうかな。

足がすごく敏感で、足の他にも、きっと色々な所がほかの人より感覚過敏なんだろうな。
そのせいで、いろいろ困ってきたこともあったんだけど、ひとつずつ対処をおぼえた。

くつ下を履かずに生活するとか、できるだけ耳栓はいつでもできるような環境にしていくとか。あと最近目隠しも持ってる。

そういうのである程度の情報をうまいこと遮断して社会を生きつつ、社会を遮断できる環境を一定時間持つことで自分を保っている。

社会といっても、都会に行って人に会うとかそのくらいなんだけどね。


>耳栓って値段とかで性能結構変わるのかね?

ぼくは耳の穴が小さいので、オーソドックスなほぼ使い捨てみたいなやつ。

全然高級じゃないのを使ってますね、これが1番じぶんの耳に合っている。
値段よりも耳の穴の形に合うかどうかが大事。


耳の穴の形取ってくれて、それに合わせて耳栓つくってくれる、 オーダーメイドイヤホン屋さんがアキバにあるとか聞いたことがある。

市販のものではどうも合わな人はそこに行った方がいいかもしれない。
ぼくは市販の超オーソドックスなのでバチバチにハマっている。
つぶして入れて、なかで大きくなるタイプの耳栓。これは非常にいい。



こんな感じで淡々と思ったことや頭に浮かんだことを言っているだけなんだけど、盗聴している気分で聞いてもらったら。

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きょうは非常にいい時間だった。人間のグロテスクな部分を見るっていうのは、多くのひとは持てない時間なのかなと思うんだけど、ぼくの活動上、人間のグロテスクな部分っていうのをたくさん見ている。


これがライフワークであり、ライスワークであるみたいなところがあるんだよね。


誰かのグロテスクな部分を見るのが好きで、人間に対する興味が8割くらいそこしかない。
ぼくのグロテスクな部分っていうのはそこだと思っていて。
ぼくは「人間への関心がある」ように外から見えると思うんだけど、人間そのものというより、「そのひとのグロテスクな部分」なんだよね。

人間「グロテスク」なところに惹かれて、ぼくはそういう興味関心でしか人と関われないのかもしれない。だからこそ、意味不明なグロい仕事をしてられると思うんだけどね。


人間のグロテスクな部分を見ていると、自分のグロテスクな部分が反射して見えてくるような感じがしていて、ぼくにとって「誰かと会う」っていうのは、鏡を見るようなものでもある。


人間に限らず、すべての生き物っていうのは自分の顔を見ることはできないわけじゃない?
自分の顔を実体として捉えることができなくて、鏡に映ったものだったり、なにかに映って反射したものだっりで確認するでしょう。

誰かがじぶんの顔を見て「あなたの鼻は低いわよ」とか「あなたの口は大きくて」とか、そういった情報があって初めて、人は自分の姿形を認識する。それは顔だけじゃなくて、「自分」そのものもきっとそう。


ぼくは自分のことを見るために人に会っているんだけど、その中で自分のことがよく見えたな日というのがある。

それでいうと、今日はかなり自分のことが見えた日でしたね。
そういう日は充実感があって、「人と会う」ということが自分のためなんだな、と改めて思うね。

うん、今日はよくじぶんのことが見えた日だった。


>グロい話全然引かないってわかってたからいろいろ話せたところある


グロい話といっても、伝わりづらいかもしれないんだけど、人が人に見せない部分、見せられない部分だね。その人のありのままがある部分。

見せたがらないし、そもそも見せてはいけないと思ってるところ。

誰しもがそういう酷さを内に抱えていて、ぼくは人からそういった酷さを対話の内に垣間見る。

自分のグロテスクな部分を誰にも見せずに抱える人もいるんだろうけど、それは時に人間を食ってしまうわけでしょ。だから、昔では宗教的な施設で「じぶんがやってしまったこと」とか、「じぶんの愚かさ」とか、そういうものを聞いてもらったりする、懺悔するための時間があったらしい。


今はそういう安全圏というかそういうのが失われてる。
ぼくは、どこまでいっても他人は他人なところがあるから、人の見るに耐えない部分を見ることができて、見続けるというはある意味才能でもあると思う。

色々な人が会いに来て、色々な話をしてくれて、その人生は本当に色々なんだけど、それはぼくのものじゃない。グロさなんてね、見ない方がいいよね。
それなのにグロさを直視してしまうし、面白さを感じてしまう。

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>占い師だよね

占い師ね。占い師の活動の3割くらいはぼくもやってるのかもしれないね。どうなんだろ、分からん

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はい、まぁこんな感じで、寝る前ラジオとかいって、30分って時間を決めて、ぼくのその日の頭の中にあるものを整理する時間を意識的に設けようとしてるところ。


ぜひ聴いてる人は登録、通知とかして「俺らが聴いてるぞ」という意思表示をしてくれたら…

今62人聴いていて「62人聴きに来るものを、ぼくはやらなきゃいけないんだ」という気持ちになって儀式化するので、よかったらぜひ登録しといてくださいな。

今、Twitterのフォロワーが10万人ぐらいいて、そのうちの100〜200人くらいは、もしかしたら、こういう物好きコンテンツにハマるひとがいるのかなという、雑な計算があって、それぐらいのひとがいると、ぼくも続けざるを得なくなる。

この習慣はぼくにとって大切なものなので続けたほうがいい。
ということでね、ぜひ圧をかけてくれれば…

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>なんか知らんけど癒されました


それはどーも。


>ぷろおごさんへのコメントはみんなしづらい

そう?ま、どっちでもいいんだけどさ。ぼくはただ、ひとりでぼーっとしながらやってるからなぁ。コメントしたい人はしてくれればと思います。

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いや〜、耳栓にハマったのがすごくいいな。本当によかった。これはほんとに人生変わった。
色々やってみたりするんだけど、耳栓、本当によかった!!
聴覚過敏な人はだまされたと思って耳栓5種類くらい買ってみて欲しい。

5種類買えば、ひとつくらい合うものあるだろからさ、これハマるとほんとにすごい!!

人間ね、何かしら障害があって、我々のような障害者にとって、いかにライフハックを見つけるかっていうのは死活問題なんだよね。ライフハックして、できるだけコストを下げて、持続可能なものにしていく。

その中でいかに型を習得し、アップデートし、リソースを節約していくか。節約したリソース、自分の選択する力を生かしていくかは重要だよね。


薬もいい、もちろん薬もいいんだけど、薬は効用が強くて、精神に作用しすぎる気がする。

「治す」とかそういうものじゃなくて、どう付き合っていくか。

うつ病とか、ADHDとか。色々なものを治すって言うけど、そう簡単に治らないでしょう。そもそも治らないものでもあるかもしれない。だから、色々試してみて、どう補っていくのかっていうのが大事だとも思ってる。

繰り返しになるけど、つらいなら薬を飲めばいい。

薬を飲まなくてもどうにかなるのなら、それはどうにかしたい。とも思う。


>プロおごさんにリツイートされて、日本語読めない人とかからコメント来たりして笑ってました。おもろい経験をした。

ぼくは魔界と接続してる人間なので、普段、魔界大冒険をしていない人からすると、「日本語が読めない人ってほんとにツイッターにいるんだー!」
っていう発見をもたらすかもしれないね。

ぼくの予想なんだけど、Twitterユーザーの8割くらいは日本語読めないかもしれない。
我々は残りの2割、日本語が読める2割以下の人たちと関わってるに過ぎないというか、そういうタコツボなのかな。逆にね。

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というわけで、あと2、3分で終わりますが。皆さんはどんな「今日」でした?
寝る前の30分、じぶんの時間を取るというのはね、けっこう大切なことなので、ぜひね、こんな感じでやっていけたらと思います。


聴くひとが1人、2人、3人とかでもいいんですよね。
何ならがあとで聴く、とか、あるいは、友だちに聴いてもらうだとか、ただ壁に向かって喋るんでもいいし。そういう30分…たった30分ですよ。

自分の頭を整理して、出てきたものを素直に出すというか、自分だけの自分のための時間、思考というか、そういうものを持つと、日々が豊になるんじゃないか、ぼくはそういうふうに思いますね。


ぜひね、「最近うまくいかねーな」って人は、30分でもやってみるといいかもね。


>初見です。ちょっと立ち寄りました。

また来てくれや。

>わたし精神障害者です。無音の中で絵を描いてます。無音でなければ描けません。耳栓買います。

ほんとにいいのでぜひ買ってほしい。耳栓5種類、7種類、10種類くらい買ってみたら、ひとつくらいは合うものがあるはず。
それくらいの出費をしても、買う価値があるよ。ほんとに!

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>ゴミの美しさは撮るごとに増しますかゴミの美しさを最大限に感じる心得が知りたいです

そうですね、やっぱり達人になるしかないのかも。永遠と撮り続ける。圧倒的回数シャッターを切る。ただ、美しいと思ったものだけを撮っていく。

はじめのうちは、1日歩いたってこと1、2個しか気に入ったものがないんですよ。だけど、それが3つ4つ、5つ6つ、10個、20個、30個…って、だんだん増えていく。

回数を重ねるなかで、「美しいな、いいなぁ」と思うものが増える。その喜びを感じれるってのが大事だと思うな、ぼくは。ゴミ写真家としてね。

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はい、というわけで、30分経ちました。

「やれ」と皆さん言ってくださいね。ぜひ登録して、通知オンにしといてください。

では。

バイバイ。


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