怒られたいけど怒らせたくない、ワガママな欲望の正体について◆大人と子ども【ぷろおご伊予柑の大預言】
対談:ぷろおご伊予柑の大預言をアーカイブしています。
収録は2023年11月です。
いい大人とは、マッチングアプリでは出会えない
伊予柑:今日のテーマは大人と子どもです。僕はYouTubeまわりの仕事もしているんですけど、なんか最近20歳ぐらいの子から、「いい大人に出会いたい」みたいな話をよくもらうんです
ぷろおご:悪い大人ばっかなのかな
伊予柑:悪い大人というか、そもそも大人に出会えない
ぷろおご:なるほど、いないんだ
伊予柑:大学生が大人に出会おうっていったら、バイトするぐらいしかないじゃん
ぷろおご:そうだね。昔からそうだったんだけど、最近の人は「オレは大人に出会えてないんだ」って気づきはじめたよね。昔だったら「オレは出会えてます」って言ってたとおもう。傾向として自覚がある
伊予柑:うん
伊予柑:自分の世界の狭さを知ってる一部の人が、自分の世界を出ようと思った瞬間に、「えっどうしていいのこれ?むずくない?」って気づくみたいなことが起きてますね
ぷろおご:たしかに
ぷろおごはいつから大人になるのか
伊予柑:そろそろぷろおごも若者から大人にみられはじめたのでは?と思う。とくにTikTokの視聴者とかから。どうですか、大人になってますか?
ぷろおご:おれは大人ですよ。アラサーですから
伊予柑:アラサー!
ぷろおご:アラサーになってから、「おれももう大人だなあ、大人になろう」とおもって努力してます
伊予柑:なにを?
ぷろおご:おれは大人だ!!っておもいながらツイッターを見てる。「おれは大人だぞ!大人の意識を持って!」っておもいながらね
伊予柑:なるほど。で、おばさんに奢られる、みたいな
伊予柑:パパ活と大人のあいだぐらいをずっとやってらっしゃる
ぷろおご:たしかに。言えてる
伊予柑:TikTokの視聴者からはどう見られてるの?
ぷろおご:TikTokの人から?子どもですか?
伊予柑:うん、子どもから
ぷろおご:おれはもともと大人だとおもわれてますね。おじさんだとおもわれてる。なのに、実はお兄さんだったみたいなキャラでやってる
伊予柑:まあパッと見ると、35ぐらいに見えるかもしれない
ぷろおご:だから扱われ方はたいしてそんなに変わってない。なんていうの?おれのなかでは、ほんとうに35になるわけじゃん。ふるまいとかスタンスとして考えてはいるけど、見られ方とか客観的なものは変わらないかな
子どもっぽさとはなにか
伊予柑:なんであなたはそんなに子どもっぽくないんですか?
ぷろおご:子どもっぽさってなんなんですかね?主観的で感情的な生き物みたいな?
伊予柑:自分の利益を第一優先するとか。「オレはもっとできるやつである」とか
ぷろおご:なんなんですかね、子どもっぽさ。子どもっぽい大人って今だと誰ですか?
伊予柑:まあ芸人とかは子どもっぽい大人のフリをしますね。YouTuberの人とかも子どもっぽい大人であることが多いですね
ぷろおご:たしかに。ピエロか
ぷろおご:そうだな。大人と子どもってなにがちがうんですかね?
客観的にいえば責任とか?
自分の責任を自分でとれそうかどうかみたいな話?
おれってすぐ心配されるじゃないですか。
こういうことを言われるってことは、責任をとるだろ?って言われてるのとおなじってことですよね?
伊予柑:そうですね
ぷろおご:子どもっぽい、大人っぽいっていうのは責任なんじゃないですか?
子どもっぽさと子どもらしさのあいだで揺れる若者たち
ぷろおご:大人っぽい子ども、いますもんね
伊予柑:いるいる。そして、今の子どもはかなり大人っぽいんですよ
ぷろおご:ヘンに大人っぽくなっちゃってるよね
伊予柑:バランス感もあって、
ぷろおご:子どもには子どもならではの権利があるわけで、それを行使して、子どもっぽく振る舞ったほうが大人なんだけど、それを行使しないのが大人だ、みたいな
伊予柑:保守的になってるんですよね。知り合いの19歳でベンチャー転がして2000万ぐらい手に入れたやつが、「説教可能性はだいじ」という話をしていて、
伊予柑:「説教可能性」
ぷろおご:それは"被"説教可能性?
伊予柑:そう、被説教可能性。説教を受けられるような状態を維持するのがだいじという話でした
ぷろおご:それはほんとうにそうですね
伊予柑:よく説教されてらっしゃいますもんね
ぷろおご:説教されないとだめですよ。説教されなくなったらおしまいですからね
伊予柑:ポテンシャルとは説教可能性である、という
ぷろおご:説教されてるうちは大丈夫だなっておもう
「怒らせたくないけど、ちゃんと叱ってほしい」
伊予柑:今の子どもってけっこう説教可能性が低いんですよ
ぷろおご:たしかに
伊予柑:ちゃんとやってらっしゃる。いい子
ぷろおご:やっぱり怒られたくないからね
伊予柑:でも彼らも分かってて、ちゃんと叱ってくれる大人がほしいんですよ
ぷろおご:痛くないように、ちゃんとね
伊予柑:うん
ぷろおご:わかる
伊予柑:大人に出会おうとおもったらどうしたらいいんですかね
ぷろおご:おれは大人がいたからなんとも言えないですね。完全にガチャで成功したタイプなんですよ
伊予柑:実家にたくさん大人がいた
ぷろおご:実家が謎のおじさんだらけみたいな環境だったから、自動的に大人が供給されてた。おれは大人と相対したしたときの振る舞いを知っていて、やり方も知ってるから恐れずに出会えるみたいなのがあったけど、なにしたらいいんですかね。
世代を越えないとだめじゃないですか。世代を越えるにはやっぱり自分以外の属性を持った人と、ちゃんとコミュニケーションができる能力が必要ですよね
「大人と対等でありたい」子どもの欲求はどうやって満たされるのか
伊予柑:僕はインターネット以前のパソコン通信を始めたのが16歳で、そこは大人の世界だったんですよ。で、年齢を名乗らなければ、もう大人とまったく対等な立場で
ぷろおご:顔も見えないですもんね
伊予柑:掲示板なので
伊予柑:そこは知らない世界だったから、ほんとうに興奮したというか
ぷろおご:子どもの自分が大人の皮をかぶれる世界ですよね
伊予柑:そうそう
ぷろおご:大人になりたい子どもにとっては愉悦ですよね
伊予柑:昔は2ちゃんねるとかが自分の知らない世界を見させてくれたんだけど、今のTIKTokはちょっと感じが違うなっていうのがある。大人のふりをして仮面をかぶって、大人扱いされるとやっぱりちょっと、自分が変わるんですよ
伊予柑:たぶん大人になりたい子どもはそういうものを求めていて、「子ども扱いされたい」で説教されるか、大人扱いされて「対等をちょっと試したい」みたいな
ぷろおご:今って説教はリスク高いですよね
伊予柑:高いね
ぷろおご:パワハラになっちゃう、とか、モラハラって言われちゃう、とか、そういうかんじじゃないですか。説教はされるものじゃなくなって、買うものになっちゃった
伊予柑:そうなんですよ
ぷろおご:今まではそのへんに落ちてるやつを拾えたのにね
ぷろおご:こういうやりとりがあって、やっと「じゃあ言わしてもらうけど・・・あえて言わせてもらうんだったら・・少なくとも、」みたいに遠回しで発生するよね。事故率が低いことがわからないと、説教なんてできないですよ
伊予柑:あなたはよくやってらっしゃいますよね。「何マンですか?」って
説教は大人の特権?
伊予柑:コンプラ社会が大人との接点を、よりなくしたんですよね
ぷろおご:子どもによくない社会だよね。砂場がなくなった、みたいな話だ
伊予柑:そう、怪我する自由がなくなったというかね
伊予柑:なんもできん
ぷろおご:いまってそういう人多いよね
伊予柑:僕の友達の定義のひとつに、友達とは、相互に加害しあえる関係であるというのがあります。僕はけっこう、20代とも友達になるんですよ。相互に加害して、「お前ここがダメだよな、」「伊予柑さんはここがダメですよね」って言われますね
ぷろおご:なるほどね、それは説教可能性が自分のなかに用意できてるからできるプレイングですね。説教されても、いやでもお前こうじゃんって言える
伊予柑:どうやって相互に説教可能性を用意するのか。俺はできてるけど、どうすればいいのか、教えられない
ぷろおご:バカにされ慣れてないとだめですよね。「でもお前乞食やん」はオチがある
伊予柑:あなたずるいのよ。わかりやすいオチがあるから
ぷろおご:たとえばビジネスの話するじゃん。そこから「でもお前乞食やん!」「やめてくれよ」っていう一連の流れがあると、綺麗にまとまるんだけど、そういう流れをつくるには言われたくないことが要るわけじゃん。うまいことヒットポイントをつかないといけない
伊予柑:出川とか、芸人にならないといけないわけですよね
ぷろおご:ボクサーとかもそうですよね。いいボクサーって打たせるんですよ。殴られてもいいところを打たせたら、殴られちゃだめなところを殴られる可能性が減るじゃないですか。そういうテクニックですよね
伊予柑:高度すぎるんだよな
ぷろおご:ジャブストレートをすごく練習して、ステップワークして体力つけて、20試合こなしたあとに、上級技術としてでてくる
ひとりででできる、コミュニケーションの練習とは
伊予柑:じゃあ今殴られたい子ども、「ちょっと体力ついてきたから叱られたいっす」っていう人はどうしたらいいんだろう
ぷろおご:その人がほんとうに、叱られても平気だと思ってるんだったらもっと派手なことをやっているし、まだ叱られたらまずいと思ってるんじゃないかな
伊予柑:第一試合の前のボクサーなんですね
ぷろおご:人と関わらない、無機物のあいだで失敗をするといいですよ。説教って、自分が否定されるわけじゃないですか。
たとえばギターを買って、1週間やったけど全然弾けない。これってある意味、説教ですよね。「お前は弾く能力がない」とか「1週間で弾くほどの集中力がない」とか、客観的な事実が明らかになりますよね。
そういうのからやったほうがいいとおもいますね。人に対してじゃなくて無機物からはじめる。無機物にちゃんと打ち込んでみて、できなかったな…ってちゃんと向き合えるようになっってから、ようやく人に対して向き合えるというか。
おれはアスペなので、無機物からはじめることをおすすめしますね。無機物と永遠に向き合った結果、最近、20歳ぐらいでようやく人としゃべれるようになった
伊予柑:たしかに。経営者とか一定の叱られなくなってしまった人って無機物に熱心に取り組むパターンが多いですね。習い事でトライアスロンやります、とか
ぷろおご:叱られ不足ですよね
暗い人は、「お叱り」と「罵倒」の区別ができない
伊予柑:適切な叱られって難しいんだよな
ぷろおご:そうですよね。まったくできてない人だったらやっぱり無機物からはじめて、人とのコミュニケーションに慣れていく。慣れていくしかないですよね、ほんとうにね。おれはマッチョ部族だから、場数としか言えない
伊予柑:知り合いが歌の先生を雇ってたんですけど、歌の先生がレッスンで無限に褒めてくれるらしいんですよ。やっぱり初心者に対しては褒めるしかないんですよね。叱るなんていうのはもう上級者のやつ
ぷろおご:そうね、そこはむずかしいよな
伊予柑:叱られたいときって、レベリングしてきてちょっとボスに挑みたい
んですね、きっと
ぷろおご:陽気な人はやっぱり叱りやすいですよね
伊予柑:そうですね。これまでのパスをする話に近いですね
ぷろおご:おまえさあ!って言えるじゃないですか。あれも叱りのひとつだよね。やっぱ陽気になると叱ってもらえるかんじがする
伊予柑:それはそう
ぷろおご:ある種ショートコントになるし。情報として、伝えたいことは伝えられるじゃないですか。でも、受け手ががっかりしてたら言えないですよね
伊予柑:説教可能性に陽気度があるんだな
ぷろおご:そう、陽気であることはやっぱ重要な気がする。相手を嫌っている人だったら、がっかりしてても言うけど、それは叱りというより、ただの罵倒ですよね。罵倒ってあんまり聞いてもしょうがないじゃないですか
伊予柑:クソリプですね
ぷろおご:罵倒はあんまり参考にならない。パターン10個ぐらいしかない罵倒フレーズのなかのひとつがでてきてるだけだから
ぷろおご:身近な人が愛を以て進言してくれるとき、その機会をちゃんと損失しないようにしないとね
伊予柑:そうすると、子どもほど陽気に振る舞って、希少な大人からの叱られ可能性、説教可能性を上げていくのがだいじである、と
ぷろおご:ギャルになるっていうのはやっぱだいじですよね
伊予柑:なるほど、ギャルね
ぷろおご:ギャルはさ、「うざw」って言うじゃん。わかってるから言える
ぷろおご:陽気さはそこにも通ずるね。子どもだろうが大人だろうが陽気でいる人には人が寄っていくし、寄ってくる人もそう悪くはないですよね。陽気な人にかける悪い魔法ってあんまりない。彼らには効かないから。
どんよりして孤独そうな人にやあ!っていくほうが手っ取り早いから、陽気でいることはある種、悪い大人に対しての防御壁にもなりますね。明るいと、人間との運気というかそういうものも上がる。
だからそうだね、いい大人と出会うには陽気でいる。陽気でいるには無機物とのあいだで練習をする。練習をしたりしながら、だんだん人前で自然とニコニコするような状態をつくっていく。結局そうなってきちゃうからややこしいね
ぷろおご:いい大人と出会うために習い事するとかは昔からあるけど、資本の話になってくる
伊予柑:学生だったら今いる学校の先生のなかでも、いい先生をうまいこと捕まえて挑んでいく、というがわりとコスパがいい
ぷろおご:教員全部倒す、とか、そういうやついるよね。
伊予柑:おもしろい。ということで、結局陽気さがだいじ
ぷろおご:最近こればっかりで暴力的ですよね
伊予柑:健康と明るさ
ぷろおご:説教コンテンツすぎる。「陽気になれーッッ」説教にもほどがあるよね
伊予柑:アラサーとアラフォーのおじさんからの説教でございました。ではでは
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