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「他人の役に立ちたい人」の心理【ぷろおごvoicy文字起こしvol.56】


この記事はプロ奢ラレヤーのvoicy『「他人の役に立ちたい人」の心理』(2021年4月12日公開)を元に作成したものです。



はい、どうも。
この配信は過去累計3000人以上にメシを奢られてきた浮浪者が意味不明な独り言をただ垂れ流すだけのラジオです。
物好きな人だけ聞いていってくれればと思います。

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『役に立ちたい人』その心理について

今日は『「他人の役に立ちたい人」の心理』について話していきます。

皆さんは、「他人の役に立ちたい」と思った経験はありますか?

僕はこの「他人の役に立ちたい」と思った時に注意しなければならない点があると思っていて、その動機が前向きか後ろ向きか、というものです。

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「役に立ちたい」は要注意

前向きな動機というのは、合理的で、自分のしたいことをして、副産物として誰かのために役立っていた、というようなものですね。

後ろ向きな動機というのは手段として「他人の役に立ちたい」という気持ちを起こします。

後ろ向きな「他人の役に立ちたい」について


後ろ向きな「他人の役に立ちたい」は、義務感を伴っています。

それは、「人の役に立たねばならない」というようなもので、「自分は人の役に立たないと価値がない」といった負の感情とセットになっていることが多いです。


これの何に気をつけなばならないかというと、この負の感情を伴った「他人の役に立ちたい」という気持ちは、たとえ、人の役に立ったとはいえ、満足することがないからです。

人の役に立ったという結果すらも受け入れられないのです。

それは自分の存在や価値を「他人の役に立った」という条件付きで認めているからで、その条件が満たされていないと自分を認められないのですよね。

だから、「他人の役に立つ」ということを止められない。人は誰かのためだけにやり続けるということは非常に難しく、それに、僕はそれをキモチワルイと思ってしまう。


自分の存在を条件付きでしか認められないというのは地獄です。


「他人の役に立つ」という条件付きで自分を認められるのだから、延々と繰り返すわけですよね。

いわゆる「メンヘラ」なんて呼ばれる人もいると思いますけど、「他人」を軸に自分の存在を認めるというのは、なんとなくキモチワルイし、おもしろくないです。

自分の存在を無条件で認めるには、「条件付きの自分」その繰り返しから脱却する必要があるんじゃないですかね。

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自分の存在を無条件に認めるために


僕はよく言うんですけど、「何もしない」っていうのはすごいんですよね。

僕ら、やろうと思えばなんだってできるわけじゃないですか。

トラックで歩道に突っ込んだり、危険なものばら撒いたり、それをしない、「何もしなかった」というのはすごいことなんですよ。


プラスにはならないかもしれないけど、マイナスをつくらなかった。

それはえらいことですよね。

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他人軸ではなく自分の軸を持つことが大切なんじゃないでしょうか?


はい、ということで今日も浮浪者が意味不明な独り言を垂れ流しました。


僕は奢られ屋をしているわけですが、奢ログという僕に奢りに来た人たちの話やTwitterTikTokYoutubevoicynote、色々やっています。

気になるひとは、色々見てみてください。


というわけで今日はこれでおしまい。
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バイバイ。

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