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気遣いの行く末

あなたは気遣いのできる人だ、と言ってくれる人がいる

きっとこれは褒め言葉で、たしかに言われた当人としてもすごく嬉しい。
なぜなら、「気遣いができる人」と思われるように行動しているからである。
言ってくれた人には申し訳ないが、これは私の策略通りということになる。


そして次に私はこう考える。

「この世はなんて生きづらいのだ」と。

なんでこんなことを考えるかというと、自分が周りを気遣ってあれやこれやと世話を焼いたり時には遠慮したりするからである。

これは絵に描いたような本末転倒である。


人を気遣い優しくすることで自分の首を絞めている。
かといって今更「気遣いのできない人」に成り下がりたくはないし、そうなることのメリットを見出すことは易くない。

この世の中は難しい。
優しい人が息苦しい世の中。
傍若無人な人が楽に暮らせる世の中。

でもどうやって生きていくか、それは各人の選択であり、当人の生き方にあれこれ意見するものでもない。


さて、かっこいいことを書きたかったわけでもないが書くにつれ着地点を見失いつつある。

つまるところ、このnoteというのは誰かに気を遣うでもなく、自分の思ったことを発散できるので、気を張る必要がなく私にとって居心地の良い場所であると言いたかった。


あぁ、森見登美彦のような文章が書きたい。

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