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荻原健司が国会議員!?

批判覚悟のマスク

 いわゆる「アベノマスク」がまだ届かない。近所のドラッグストアではずっと買えなかったマスクが商品棚に並んできた。「お一人様一点のみ」の制限があるとはいえ、買い求められるようになっている。なのに、アベノマスクはまだ届かない。官房長官は「必要な人に必要なだけ届いたのだ。」と胸を張った。この政策は国民の多くの賛同を得たのだと・・・。確かにその発言はもっともだとも思う。特に、医療従事者にマスクはいくらでも必要だし、不安なく使って欲しい。コロナの第二波に備えるためにも必要だろう。しかし、がしかし、それでもまだうちには届いていない。すでに手にした人たちが投稿した写真や使用感を見る限りは、自分で作ったガーゼのマスクの方が良さそうだとも思う。うちに来るはずのマスクはどこにあるのか。そしていま、どれだけの国民にマスクが届いてるのだろうか。そして、自作マスクと比べてどちらの着用感が良いのか。一国民としての素朴な疑問と関心は多い。


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自作マスク↑

国会議員

 私は国会議員だった。知らなかった人は多いようだが、2002年にスキー・ノルディック複合競技の選手を引退し、2004年の選挙を経て参議院議員を一期務めた。わずか6年間の在任期間だったし、選手を引退して以降、世間の関心も遠のいたから知らなかった人は多いだろう。ところで、私の浅い経験から「国会議員とはなんぞや」などと生意気なことを言うつもりは毛頭ないし、本物の政治家からしてみれば「オマエ、6年でなにがわかる?」と一蹴されるのがおちだ。ただ、今回のマスク騒動を含め、現在の国会審議に議員経験者として思うところはある。

歓迎から批判へ

 2004年、参議院議員選挙比例代表選に立候補した。世界各地を転戦した経験もふまえ、日本のスポーツ振興に貢献したいと考えたからだ。選挙に出るとなったとたん、私に対する社会の目は変わった。なにしろそれまではどこへ行っても金メダリストは歓迎されたし喜ばれた。しかし、選挙に出るとなったとたんに「オマエには呆れた。」「スポーツバカは政治をやるな。」といった批判が届く。選挙中は何度罵声を浴びせられたことか。「帰れ!」「引っ込め!」と。そんな罵声をくらうと、正直、心が折れそうになる。叫んだ彼の形相が脳裏に焼き付いてしまう。でも、自分の信じる道を進むためには、そんなことで沈んではいられなかった。政治家になるとはそういうものだと学んだ。

与党と野党

 私の任期の6年間は与党議員であり、野党議員だった。与党議員5年間、野党議員1年間という具合だ。たった6年で与党も野党も経験できたことは貴重な経験だったと言える。ところで、与党議員は与党の責任だからといって内閣提出法案などにすべての議員が賛成票を投じているというわけではないのはご承知のとおり。与党議員ではあっても法案に「賛成しかねる」と判断した場合には、投票時に退席したり欠席する。そうやって自分の意思を表明するのだ。ただ、後日お仕置きを受けるのは必至。所属する政党(派閥)から叱られたり、注意を受けることは間違いないし、重要なポストから外されることもある。出世に影響する場合だってある。だから、与党議員の中には「心の中では法案に反対、でも仕方なく賛成票を投じよう。」という心の葛藤を抱いている議員もいる。それは、政党に所属する者の宿命であり、政党の論理に自分の意思や本心を犠牲にすることは、出世のためには必要という割切りも必要ということ。それがはたして自分の心を売るような行為だとしても、数ある法案を「与党として通していくことの責任」という大義にいずれ慣れるということなのかもしれない。

忖度しない

 ある特定政党の国会議員だった私ではあるが、今はすべての行動を自分で決定できている。今の私は政治家でもないし会社の社員でもない。一切の組織に所属していない。確かに、組織に所属していないことに不安を感じる時はある。自分の行き先を政党や会社が示してくれていた頃とはまったく違う。行き先の決まった船に乗ったなら、あとは寝ていても着くから楽だ。一方、船は小さくても動きの身軽さと責任の軽さはある。なんと言っても乗員は一人。漕がなければ進まないし、休みたいと思えばいくらでも休める。どこへ舵を切るのかも自分次第。だから、すべて自分が「良い」と思えるものしか認めないし行動にしない。転覆したっていい、でも、一人でやる。「なぜそんなことをするのか?」。答えはシンプル。自分の信じる道があるから。だから、すぐに決断して、すぐに取り組める。責任はすべて自分。べつに、国会議員は議員の数だけ責任が薄まるとは言ってない。国民ひとり一人の貴重な票で選ばれた議員だ。議員の国会での一票は何万人もの想いで溢れている。でも、そんな議員も政党の論理に惑わされる時があり、全体に染まることもある。これはさけられない事実だ。ただ、私は染まりたくない。できるものなら、染める方にいたい。

マスクの使い道

 誰にも染まりたくない。何にも染まりたくない。染めていくのは自分。自分の経験や知識、想いに他人の入る余地はない。なにしろ私がやりたいことは「俺ナイズド」されたジュニア選手を育てたいということ。生意気なことを言うけれど、ひとりでやるから譲歩もしないし忖度もない。覚悟を持って自分だけが信じる道を進む、という身勝手な想いに批判が出ることもあるだろう。議員時代の強烈な批判に少しは慣れいるから大丈夫。でも、私も一人の人間だから、その批判に耐えられなくなった時にはあのマスクで口を塞ぎたいと思っている。


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