現代的なデザインにおける、白飛び、黒飛びの間にあるもの

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[photo by ogino takamitsu   ダムタイプ作品 ]

東京現代美術館での、ダムタイプ作品を見てきた。活動の長い現代アートグループであるが、映像はLEDでの表現になっており、真っ白になったり、真っ黒になったりする、白飛び黒飛びを効果的に使っていた。
白飛び、黒飛び、実は写真や映像ではやっかいな現象で、特に撮影がデジタル機材になってからより扱いの難しい。そのやっかいさは、現代的なデザインの問題と似ていて、表層化している。少し考察してみたい。

白飛びとは、写真を撮影する時、画面の一部が光で真っ白になってしまう現象で、写真としての程をなさなくなってしまう。黒飛びは、その逆で真っ黒になってしまう事。
夜のインテリア撮影では、窓は真っ黒になってしまう。こうなると、いくらレタッチで頑張って現像しても、写真や映像としては使いものにならない。

白飛び、黒飛びはフィルムの時代から見られる現像ではあった。だが、デジタルのカメラで撮影すると、ちょっとした光、ちょっとした暗さですぐ飛んでしまう。逆に言うと白飛び黒飛びさせず、撮影ができる光の状況が凄く狭い範囲になった。

フィルム時代から撮影しているカメラマンさんの中には、この状況にうまく対処出来ず、デジタルカメラでは質の低い撮影になってしまう人もいる。最初から、デジタルで撮影を始めた若いカメラマンは、自然に対応している。
ただ、白飛び黒飛びしない光の範囲が狭くなっている為、写せるタイミングや状況が限られてしまう為、表現できる範囲は狭く、狭い範囲で表現するしかない。

デザインや設計の現場も、似たような現象があり、状況や社会、クライアント、他者からの評価として、欠陥だと言われてしまう範囲がとても広くなってしまっている。
白飛び黒飛びの様に、ちょっとしたことで、使えない表現、設計になってしまう。
否定されない小さな範囲の中でのデザインしか出来ず、その中の小さな小さなレンジ内で汲々としながら仕事をすることになっている。
更に、白飛び黒飛びの範囲、否定されていまう範囲に入らない事に、神経と労力の大部分をさきながらの作業を強いられる。

世界がデジタル化されたから直接の関係がある部分と、無い部分があるが、デジタル的な事象であることは確かだ。
反応が良すぎて、出来事が見え過ぎるくせに、誤魔化しが効く。それ故に、不必要で意味の無い規制が増えた。自己規制も、関係の無い他者からの圧力も。

スケール感の大きな設計、デザイン、表現が無くなって、小さなところでの面白さを追求するのが、今のクリエイティブな現場になってしまった。

今年、完成する筆者設計の「かんたき」は六角形の建物だが、建築の世界では、四角形以外は、本来、黒飛びにあたる。六角形がつくる斜めの壁は、法規での構造計算上、評価してもらえない。斜めの構造はあり得ないという判断が実情だ。実際には、360度、どちらかの方向からの揺れにも強い構造なのだけれど。

さて、ダムタイプの映像作品では、白飛び黒飛びを逆手にとって、飛ぶ瞬間を効果的に使っていた。音と共に、飛ぶ瞬間をインパクトに使い、リズムを作り、トランス状態に感覚を持っていく。没入感に心地よく支配される映像表現になっていた。
本来、アウトである、白飛び黒飛びを逆手にとった手法は、窮屈な社会の圧力から、逃れて自由を獲得したのかもしれない。

公式ホームページはこちら【株式会社小木野貴光アトリエ一級建築士事務所】

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