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5年ぶりwwPart2

5年ぶりと書いて、また5年が経ってしまいました。
下書きは溜まっても公開するまでに至らず、数日前に10周年のバッジを貰いました。
今春は大きな人生の節目となり、立ち位置も大きく変わりましたので、これまでの10年を振り返りつつ、次の10年の計を書いてみます。
東日本大地震の直後、2011年4月にそれまで客員教授でしたデジタルハリウッド大学院の専任教授となり、日本文化の復興をテーマに研究開発活動をスタートしました。
10年前の2014年には中野区や豊島区で聖地創生プロジェクトを始めましたが、まだまだ地域の理解を得ることにハードルが高いと感じていました。
2015年には中野文化祭を企画して、2日間で2万人を集めるイベントになり、多くの人が動く様になりました。

中野文化祭メインステージ

2016年には海外との連携を図り、マレーシアでアトレさんとポップアップストアを行いました。日本の駅ビルのプロモーションですが、様々なコンテンツを持ち込みました。日本のコンテンツの東南アジアでの可能性と手応えも感じました。

アトレポップアップストア・メインステージ

秋には台湾を視察し、これまではコンテンツを送り込むだけでしたが、イベントを企画する可能性を見出しました。
2017年3月に母が逝去し、その直後に娘の懐妊が分かりました。ほんの数日の差でした。亡くなる1ヶ月前にはひ孫を予感していた様で、しきりに電話で尋ねられていたことが悔やまれて仕方ありません。
春には母方の先祖の居城跡地に案内されることとなり、様々な因縁を感じる年でした。
その年の夏にゼミ研究で鎌倉を訪れましたが、3年後に関わることになるとは思いも寄りませんでした。今の三浦半島の聖地創生エピソードゼロとなりました。

三内丸山遺跡

秋には三内丸山遺跡の多言語解説事業を手掛けることになり、文化庁の事業がスタートしました。
2018年には全国各地の聖地創生に関わることとなり、西日本の文化財活用によるインバウンド向けのアクティビティ開発を手掛けました。
秋には、トキワ荘大学をスタートさせ、手始めに文化祭を開催しました。豊島区の高野区長にも参列いただき多くの方に参加いただきました。

トキワ荘大学文化祭

2019年には海外の文化財活用を調査することになり、フランスとイギリスを訪問して、様々な知見を得ることが出来ました。
その年の暮れ、中国で感染症の騒ぎがあり、まさか翌年から100年に一度の世界的なコロナウイルス騒動の事態になるとは想像も出来ず、「5年ぶり」と投稿したのでした。

Part3に続く。

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