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「まとまらない言葉を生きる(荒井裕樹著)」を読んで

昨年の十月頃、新聞記事にこの本の紹介が著者の荒井裕樹さん(二松学舎大准教授)の写真とともに出ていて、その記事を読んでから、いつか読んでみたいと思っていた本の一つでした。

著者の荒井裕樹さんは「被抑圧者の自己表現」を専門にしている文学研究者です。その荒井さんが書いたエッセーなのですが、その執筆の出発点を以下のように綴っています。

 「言葉が壊れてきたと」と思う。いや、言葉そのものが勝手に壊れることはないから、「壊されてきた」という方が正確かもしれない。
 この本は、こうした「言葉の壊れ」について考える本だ。できれば、それに抗うための本でありたい。
 ただ、そこまで立派なものになれるかどうか、正直自信がない。でも、せめて「言葉が壊されつつある」ことに警鐘を鳴らして、「言葉が壊される」ことを悔しがりたい。この本を手に取ってくださった方々と、このやり切れない思いを分かち合いたい。

「言葉が壊れ」とはどういうことか?著者は以下の事態をあげています。

 ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた。

例として、SNSにあがっているような、海外にルーツを持つ人・少数民族・生活保護受給者・障害者・生活困窮者・路上生活者・移民・外国人技能実習生たちに対する「理解のない言葉」や「心ない言葉」はもとより、「憎悪表現」としか言いようがない言葉が溢れていることをあげています。
さらには、以下のこともあげています。

 社会に大きな影響力を持つ人、財力や権力を持つ人、そうした人たちの言葉もなんだか不穏になってきた。対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。

これは言うまでもなく第二次安倍政権のときに見られた一連の「言葉の信頼を壊した」事態をさしています。

国会質疑や記者会見の場で繰り返されてきた「まったく問題ない」「その批判はあたらない」という言葉、分断や対立を煽る「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言、「一億総活躍」「女性活用(→女性活躍→女性が輝く)」「人づくり革命」というインパクトは強いけれど、政策の中味がまったく伝わらない威勢の良さだけを担保しているような言葉、等々をさしています。
では、具体的にはなにが壊されたのか?それについて著者の荒井さんは以下のように記しています。

 「壊されたもの」というのは、強いて言えば、言葉の「魂」というか、「尊さ」というか、「優しさ」というか、何か、こう、「言葉にまつわって存在する尊くてポジティブな力めいたもの」なのだけれど、こうしたものは短くてわかりやすいフレーズにはなりにくい。
 もどかしいことに、いまの社会では「短くわかりやすいフレーズ」に収まらないものは、そもそも「存在しない」と見做されてしまう(逆に言えば、実体なんかなくてもキャッチーなフレーズさえ出せれば存在しているように見えてしまう)。でも、この本で考えたいのは、この「短い言葉では説明しにくい言葉の力」だ。

以上の思いのもと、このエッセーは綴られていきます。
最近のマスコミやネット記事等を読むときに感じるモヤモヤしたものの正体を、適切な言葉と誠実な文章で表現してくれるのです。
そうそう、そういうことなんだよな、と自分の表現力のなさを棚にあげ、頷きながら読み進めることができます。

荒井さんは障害者の現場に長く身を置いていただけに、そこにいた人たちが、自分の存在を表明するために発した珠玉の言葉も紹介してくれます。
また、自己責任論、相模原事件、自己承認の低さ、社会への人権概念の希薄さ等についても、実に的確な言葉で解きほぐしてくれます。

そして最終章の「終話 言葉に救われるということ」の最後に以下の言葉でしめられています。

 何度も繰り返すけど、いま、ぼくは「言葉が壊されている」という猛烈な危機感を持っている。
 言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかりに使われ続けていったら、どうなるのだろう。
 肯定的な感情と共に反芻できない言葉ばかりが、その時、その場で、パッと燃焼しては右から左に流されていく。そんなことが続いていけば、言葉に大切な思いを託したり、言葉に希望を見出したり、言葉でしか証明できないものの存在を信じたり、といったことが諦められたり軽んじられたりしていくんじゃないか。
 多くの人が言葉を諦め、言葉を軽んじ続けたら、世界に何が起きるのだろう。きっと、ろくでもないことしか起こらないはずだ。次の世代にそんな世界を引き継がせないために、いまぼくにできるほとんどすべてのことが、ぼくを助けてくれた言葉たちへの恩返しのために、この本を書くことだった。

どうも最近の言葉の使われ方はおかしいと思うんだけど、それが言葉で表現できないという思いを持った人に、ぜひこの本を読んでみていただきたいと思います。


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