スライド1

蜃気楼

鬼瓦楽団
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物憂げな曲調に電子和太鼓の音色。
鬼瓦楽団の歴史はこの曲から始まりました。

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ある日、山奥のお寺で新しく大仏が建ったという噂を聞いた私はそれを見に行くことにしました。

寺の最寄りのうら寂しい小さな駅に降り立ちますと、駅前の駐車場に地元の人のものとおぼしき自動車が1台止まっておりました。自動車のフロントガラスに目をやると、そこにはくすんだ青空が映っていました。

なぜだか無性に美しく感じられました。映り込んだ対面に目をやれば当の空そのものがあまねくあるはずなのに、かかる刹那の私にはフロントガラスの空こそが、ひどく美しかったのです。

「鏡に映る空にこそ美しさを見出すこともあるだろう」という歌詞が生まれたのはこのときでした。それから帰宅するまでの道中で、おおよそこの曲の原型はできあがりました。

そして。

はじめは誰に聞かせるつもりもなくリズム楽器のない状態で録音しておった『蜃気楼』ですが、あるときなんの気なしに聴き直した際、頭の中でこの曲にあわせて小鼓の「ポン」という音が響いたのです。

これこそ、我ら鬼瓦楽団が誕生した瞬間です。

いえ、正確にはそのあとですぐに弟に連絡をとってこの曲の太鼓の演奏を頼んだときこそ、かもしれません。あるいはネット通販で電子和太鼓を購入したときでしょうか。または最初に二人でスタジオに入ったときか。

まあどっちでも、どうでも、いいのです。どっちみち大した世界なのですから。


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『蜃気楼』

当たり前の奇跡だった
夢のような眠りだった
嘘のような季節だった
とても妥当な答えだった

どっちにしたって気に食わないが
どっちみち大した世界だ
鏡に映る空にこそ美しさを見出すこともあるだろう

愛を知るために僕らは旅立ち
愛を知るたびに僕らは傷つく
蜃気楼の泉で渇きを潤す
僕らこそ幻だから

東に往けば光があって
西に往けば虹があった
南に往けば未来があって
北に往けば今があった

どっちにしたって気が気じゃないが
どっちみち些細な言葉だ
絵画の中の夕陽にこそ美しさを見出すこともあるだろう

愛を知るために僕らは旅立ち
愛を知るたびに僕らは傷つく
蜃気楼の泉で渇きを潤す
僕らこそ幻だ

愛を知るために僕らは旅立ち
愛を知るたびに僕らは傷つく
蜃気楼の泉で渇きを潤す
僕らこそ幻だから

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