別れの哲学2
それが当然だとなっているのに、それがなされない時に別れを感じる。自分の生の一部として組み込めれている(習慣として)のに、それが無いと言う事は、苦痛を伴うだろう。
この辺りは現象学のテーマに近いかもしれないが、例えば幻肢痛の考察も広げていけば、別れの考察に関わっていく。
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それはそうと、別れ方は難しい。
別れ次第でその人との今後が大きく変わる。自分は別れ方が下手な方だ。
それに別れ方といっても自分が最善を喫したとしても相手のある事だ。相手次第なところもあるのだ。
けれども、私はやはりこういった兼ね合いを考えていくのが好きだし、哲学的というか、人間的だと思うな。
さて、どうしたものか。別れということをどういう観点で、考究していったら良いものだろうか。
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