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掛け算の順序問題で日本の教育を憂う

「掛け算の順序問題」はツイッターなどでもたびたび議論が噴出していて、
そのたびにいろんな意見があるなあ、と思いつつ眺めているのだが、ふと海外の「算数」ではどうなっているのだろうか、と思って少し調べてみた。

調べ方は、Google検索で「math word problems elementary」などを検索ワードとしてヒットしたサイトで、文章題における掛け算がどのようになっているかを調べた。

Math mammoth

「数学教育やべえ」と感じた主婦マリアミラーさんが個人で出版した初等算数教本 "Math mammoth" の紹介を兼ねたポータルサイト(無料サンプル等が豊富)。マリアミラーさんは元々は統計学の専門家とのこと。

Math Mammothの3年生の学年末テストより抜粋。

12. 3 x 4 = 12 を絵に表しましょう
→ 4個のかたまりを3個書いている

13. 5 x 25
→ 25 + 25 + 25 + 25 + 25 = 125 としている
(可換性を利用して簡単に計算させようとしている!?)

15. 足は何本あるか?
馬7頭 → 7(頭) x 4(本) = 28(本)
あひる5羽 → 5(羽) x 2(本) = 10(本)
馬8頭とあひる6羽 → 8(頭) x 4(本) + 6(羽) x 2(本) = 44(本)

など、一貫して「日本式と逆」の順序で書いている。
個人的には、もし順序を固定するのであればこの順番に一貫した方が分かりやすいと思う。



GreatSchools

GreatSchoolsは子供の教育機会を広げるための非営利団体とのこと。そのサイトにあった無料の教材から抜粋。これは実に興味深い。

問題はこちらから引用
https://www.greatschools.org/gk/worksheets/real-life-word-problems-part-6/

例題:
1パック8個入りのインクカートリッジがある。
6パックではカートリッジは何個になるか?

この模範回答欄の式には 8(個) x 6(パック) = 48(個) となっている。

2問目:
誕生日パーティに9人の子供がいて、一人4個ずつチョコケーキがある。チョコケーキは全部で何個あるか?

模範解答の式には9(人) x 4(個) = 36(個) となっている。例題と逆である。
極めつけが4問目

4問目:
カティーは10円玉を7枚、5円玉を4枚、1円玉を4枚持っています。全部でいくらありますか?

模範解答の式には

10(円) x 7(枚) = 70
4(枚) x 5(円)   = 20
4(枚) x 1(円)   =  4 +
-------------------
                          94

となっている。1枚のペーパーの中で(しかも1問の中ですら)順序の一貫性が全く無い。これはさすがにひどいのではないかとも思うが、掛け算の順序が実にどうでもいい問題だということを表していると言えるのではないだろうか。


Math salamanders

20年間小学校の先生をしていたクリスピン氏が「人生このままじゃダメだ!」と奮起してインターネットで個人事業を簡単に始められるSBI(Solo Build It)に登録して、今までの経験を生かして算数教育サイトを作ろう、と始めたサイトとのこと。SBI最高!らしい。(サイト作成の動機がすごい)


https://www.math-salamanders.com/free-printable-multiplication-worksheets.html

より抜粋と翻訳。

Understanding Multiplication(掛け算の理解)

'Lots of' OR 'Multiplied by'
Should we say that 3 x 4 is 3 'lots of' 4 = 4+4+4 ?
Should we say that 3 x 4 is 3 'multiplied by' 4 = 3+3+3+3 ?
Does it really matter which way round you teach it?

"~個分"または"~倍"
「3 x 4」は「4が3個分」つまり「4+4+4」とするべきでしょうか?
「3 x 4」は「3の4倍」つまり「3+3+3+3」とするべきでしょうか?
どちらを教えるか、それは本当に重要なのでしょうか?
The truth is at the end of the day that children need to know
that both of these ways mean the same thing.

When children start learning about the commutative property of multiplication, they find out the (thatの間違い?) it does not matter which way round you write a multiplication, they are equivalent.

However, on the other hand, when you first introduce children to multiplying, they need to understand that multiplication is the same as repeated addition and how it 'works'.

This means that, especially at grade 2 when multiplication is introduced,
you need to be consistent in the way that you teach it.

その答えは、「子供たちが最終的にそれらが同じ意味を表していると知ること」です。子供たちは掛け算の交換法則について学ぶとき、どちらの順番で書いても同じであることに気付くでしょう。

しかし一方で、あなたが子供たちに最初に掛け算を教えるとき、子供たちは、乗算とは「繰り返し加算すること」と同じであり、それがどのように「働く」かを理解する必要があります。

これは、特に乗算が導入される2年生の授業の際に、同じ方法で一貫している必要があることを意味します。

【中略】
Whichever model you choose to use, make sure you are consistent in your teaching until your child has a solid understanding of the commutative law and knows that 3x4 is the same as 4x3.

いずれのモデルを採用するとしても、子供たちが可換則をしっかりと理解し、3x4が4x3と同じであることが分かるまで、授業で一貫しているようにしてください。

これは一番説得力があって、自分の考え方に近いと思った。
つまり、「何個分モデル」だろうが「何倍モデル」だろうが、「一貫性があること」が大事で、可換性に気付くことも大事、という主張だろう。学校で教える先生がこういう先生ばかりであれば掛け算順序がこれほどたびたび問題にはならないだろうと思う。

掛け算の順序問題と日本の学校教育

「掛け算の順序問題」は日本における学校教育のいろんな悪い側面を表していると思う。

1. 教師の裁量が絶対的であり、説明責任も果たされないこと
2. 妄信的に支持されている教育方針が何の評価も受けず残り続けていること
3. 些末なことにこだわりすぎて本質的な学びが薄いこと

1.に関してはもう説明するまでもないが、「掛け算の順序が違う」という理由でテストにバツを付ける教師には絶対的な権力がある。子供がいくら合理的な説明を求めたとしても、「そのようにせよ」の一点張りで逃れるのだろう。それはくだらない校則などでも同様にみられる現象であり、「学校の教室」が非常に閉鎖的な空間であることとも関係している。掛け算順序を逆にしてバツを付ける教師は、恐らく封建的な学級経営を好む教師だろう、と私は勝手に推測している。

2.に関しては国全体としての教育システムの問題でもあると思う。
制度を設計するための根拠となるデータがただでさえ少なすぎる上に先の毎月勤労統計の不正操作の件もあり、信頼性も地に堕ちているというどうしようもない状況がある。教育カリキュラムは今のままで良いのか、教え方はこれで良いのか、この教育法に効果があったかどうかはどのように測定しどのように評価するのか、今の学校制度だけではもう限界があるのではないか、他の選択肢はどうするのか、こういうのを試してみたらどうだろうか、などの建設的な議論が文科省からは全く出て来ず、民間が手探りで可能性を模索しているところに、雀の涙のような補助金が出される(こともある)という始末。

「掛け算順序なんか気にするのはおかしいよね」っていうクソどうでもいい主張さえもまず議題に上がることがなく現状維持、さらには「一定の教育的効果がある」という主張さえ出てくる。(実際に教育的効果があるとしてもそのような研究も進んでないし、実験的に進めることもできない)というこの状況を停滞と言わずしてなんというか。
今の日本の算数・数学教育は昭和の偉い人たちが考えた方法を妄信的に支持しているに過ぎず、他の可能性を評価して改善していこうという動きが全く見られないことこそが問題だと思う。

3. に関しては2に関連してほぼ言ってしまった感があるけど、掛け算順序も校則も人生においてはほぼどうでもいいことであって、そんなことよりずっと大事なことが全然学べない学校にどれほどの価値があるのか。
人権のこと、国際関係のこと、法律のこと、お金のこと、自分の身体のこと、性のこと、学ぶべきことはたくさんあるのに、学校という限られた時間で学べる内容があまりに薄すぎるように思える。

まとめ

使い古された表現だが、今の教育は「一流企業に入ること」を第一義として構成されていると言える。先生に言われたとおりに掛け算順序を守って、中学も高校も入試の問題を解くための勉強をして、サインコサインは何だか分からないけど解法丸暗記で大学に入って、卒業すれば一流企業に入れる。

実際器用な人はそこまでは上手くいくのだろうけど、その先の考える力はいつ身に付くのだろうか。社会には答えが用意された問題なんてなくて、常に自分で問題を設定して解決していかなければならない。そういった「問題設定能力」や「臨機応変な問題解決能力」が求められる社会に適応できる人間を形成する教育が必要であろうことはもう数十年来指摘され続けているが、残念ながらこの社会が劇的に変わることはなさそうだ。

自分は自分の出来ることをやって、緩やかに社会を変えていきたい。
この文章がその活動の一環となることを願いつつ。


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