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「逆ヘルプマーク」を作りたい

2011年3月11日の震災をきっかけに、「社会を変えたい」と思うようになった。その気持ちは年々強くなっていると思う。そんな中で今回の「こんな社会だったらいいな」というテーマを見てふと思いついたことがあるのでつらつらと書き残しておこうと思う。

1. 社会を変えるには

社会を変えるにはどうしたら良いのかと考えるとき、すぐに思いつくことは規模の大きなことばかりだ。億万長者になって困ってる人に富を分配したい、国会議員になって世の中の仕組みを変えたい…。もちろんそれらも長い目で見れば、絶対に叶わない夢ではないのかもしれないが、自分の現状を考えれば非現実的だ。そうではなくて、もっとミクロな視点で自分に出来ることから始めることが大事なのではないか。

そう考えた私は、自宅の住む地域のボランティアセンターで無料学習塾のボランティアスタッフを週1でやることに決めた。もともと子供の貧困問題に興味があり、強く問題意識を持っていたというのもある。今も週1で通って中学生に数学を教えている。それによって社会的に大きな変革をもたらしたということはないが、受け持った生徒の学習に対しては多少なりとも役には立てたのではないかという自負はある。

無料塾でのボランティア活動は今年で5年目になるが、この活動を通して貧困問題の実態や課題が少しずつ見えてきた。それについては本稿のメインではないので詳しくは書かないが、実態や課題が見えてくることで、次のステップへ、---つまりもう少しマスな対象に対してアクションが出来るのではないかという展望が見えてきた。

一気に社会は変えられない。だから地道に積み上げる

というのは私の尊敬する社会活動家の湯浅誠さんの言葉であるが、まさにこれを体現すべく、小さいことから地道に活動していくことこそが重要なのだと思う。


2. 小さなきっかけを

話は変わるが、私はTBSラジオが大好きでもう何十年もTBSラジオばかり聴いている。テレビはあまり見ない。その中でも最近特に好きなのが「荻上チキ Session22」で、毎日欠かさず聴いている。

この番組のモットーとなっているのが「知る、分かる、動かす」という3ステップだ。色んな事を知って、理解して、そして動かす。この「動かす」というのがとても重要だと思う。「動かす」の対象は、「自分」を動かして結果的に「社会」を動かすことだと思う。この文章も、そんな思いから自分を動かして書いている。本当は長文を書くのは苦手なのだけど。

TBSラジオには、最近始まった「ACTION」という番組もある。きっかけを作って、やってみようというのがメインテーマで、やはりこの番組の主眼も「動かす」ことにあるのだろう。ちょっとしたきっかけを作って、「自分を動かす」ということが社会を動かす第一歩となるのだと思う。


3. 逆ヘルプマーク

そんなこんなでここからが本題。社会を変えるために「逆ヘルプマーク(仮)」というものを提案したい。そもそも「ヘルプマーク」の知名度もまだ低くて、その「逆」といっても何のことだか伝わりそうにないが、要するに「私にはあなたを助ける余裕があります」という意思表示のマークだ。ヘルパーマークとも言えるかも知れない。

ここでいう「余裕」には色んな観点が含まれる。

・体力的な余裕
席を譲って立っていられます、ベビーカーの上げ下げできます

・時間的な余裕
近くまで道案内や同行介助できます

・精神的な余裕
相談に乗れます

・金銭的な余裕
少しばかりのお金なら寄付出来ます

などなど。
特に示したいと思うのは「体力的な余裕」と「時間的な余裕」が大きい。そういう意思表示を分かりやすくしている人が近くに居たら、ちょっとしたことを頼みやすいのではないかと思う。

世の中には「道を聞かれやすい人」という人種がいるようで(私の妻がそうなのだが)、何かと声をかけやすい人というのは特定の人に集中するようである。それも何か共通点があるのかもしれない。しかし、例えば街中でちょっと困ったときに、そんな「声をかけやすい人」が近くにいなかったら、誰に声をかければ良いだろうか。そんなときに「逆ヘルプマーク」を付けた人が居たら気軽に声をかけられる、そういうマークを作りたいという提案なのだ。

ヘルプマークにしてもマタニティマークにしても、「付けているだけで引け目を感じる」という人もいるそうだ。とかくに今の社会(特に都会)は他者に対して冷たく感じるし、他人に話しかけるというハードルは異様に高く思える。そんな窮屈な社会でなく、誰でもがお互いに声をかけやすい社会をまず作っていけたら良いのではないだろうか。


4. ヒーローを待っていても

丸の内線の方南町駅には「ベビーカーおろすんジャー」という名物ヒーローさんがいる。彼(彼女?)は、エレベーターのない方南町駅でベビーカーの上げ下ろしをしたり、方南町周辺の掃除をしたりといった活動を自主的に行なっているカッコイイ存在なのだが、中の人は極端に恥ずかしがり屋なのだそうだ。
「いいこと」を堂々とを行うのも恥ずかしいので、ヒーロースーツを着たというのがきっかけなのだそうだ。(そっちの方が恥ずかしいという気もするが)

しかしこの気持ちは痛いほど分かる。自分も、困っている人を見かけて手助けをしようと思っても、何らかの自意識が邪魔をして出来ないことがある。そんな時にちょっとした「言い訳」が欲しくなる。「私はこの人の友人/介助者/パートナーだから」などの理由があれば簡単だが、他人であるこの人に対してどこまで関わるべきか分からない。そんなとき、「ヒーローだから助ける」という動機はとてもシンプルで強い。助けられる方も、ヒーローになら気兼ねなく助けられることを受け入れられるのではないだろうか。「逆ヘルプマーク」は、他人に対してヘルプ可能であることを示すのと同時に、自意識に対しても「自分はヘルパーなのだ」と後押しする効果もあると考えられる。

”ヒーローを待っていても世界は変わらない”というのも私の好きな湯浅誠さんの言葉だ(というか著書のタイトルだが)。街中で困ってる人を見かけても、「そのうち誰かが助けるんじゃないか」と見過ごしてしまったりする。まさにヒーロー待ちの状態だ。そこで自分がヒーローになる勇気を持てないだろうか。その方法は、ヒーロースーツでも、逆ヘルプマークでも何でも良い。一歩踏み出す勇気が必要なのだと思う。

ヒーローを待っていても世界は変わらない。
まずは自分が小さなヒーローになることから始めよう。

#こんな社会だったらいいな

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