【連載第1回 みんなの公園】深化するボールパーク

国民的スポーツの野球が公園と結びつく

 東洋経済オンラインに寄稿した“野球と役所の街、「関内」駅が直面する転換点”は、鉄道・野球・地域とのつながりを描いた。

 今般、横浜DeNAベイスターズにとどまらず、地域密着を打ち出しているプロ野球チームは少なくない。広島東洋カープや東北楽天イーグルスなどもボールパーク化に取り組み、地域密着を掲げ、鉄道との関係を濃くしている。

 日本におけるボールパークの嚆矢は、日本初のプロ野球チームとして産声をあげた後楽園イーグルスが本拠地とした後楽園球場だった。

 現在、同地は読売ジャイアンツがホームスタジアムにしている東京ドームのほか、遊園地・ショッピングモール・ホテル、そして場外馬券場などが集積する。

 これらを運営するのは、株式会社東京ドームというそのものズバリの名前の会社だが、その前身は後楽園スタヂアムという阪急・東宝系の企業だった。

 後楽園スタヂアムはイーグルスのスポンサー会社として発足し、野球の興行収入だけでは選手の給料などが支払えないために設立された。

 そして、遊園地や貸しガレージといった多角化経営を進め、それがイーグルスの運営原資となっていく。

 しかし、イーグルを立ち上げた押川清河野安通志は学生球界に名をとどろかせる名選手ではあったが、球団はおろか企業経営者の経験はなかった。

 そのため、後楽園イーグルスはすぐに資金ショートを起こしてしまい解散に追い込まれる。

野球のプロ化と公園

 その後、プロ野球は阪急電鉄の総帥・小林一三率いる阪急が立ち上げる。小林も押川や河野同様に、野球の興行収入だけで選手の年棒や運営経費を賄えるとは思っていなかった。

 小林は鉄道会社が球団を持ち、自社沿線に球場を建設。そして、持ち回りで試合を開催すれば、鉄道利用の需要も掘り起こせるし、沿線の価値も向上する。鉄道の収益に加えて興行収入を得られる。

 そうした複合的に利益を出すという考えのもとに、関西の鉄道会社にプロ野球チームを持つことを呼び掛けた。小林が考えていたプロ野球のビジネスモデルは、電鉄リーグ構想とも呼ばれた。

 一時期、阪急のほか南海・近鉄・阪神・といった関西私鉄がプロ野球チームを所有していたのは、そうしたいきさつがあった。しかし、小林が発案した鉄道会社によるプロ野球リーグ構想も時期尚早で、うまくいかなかった。

 3度目の正直となるプロ野球構想は、読売新聞社主の正力松太郎によってようやく実現する。正力発のプロ野球リーグには、先に挫折を味わった小林も参加した。

 特定の親会社を持たない後楽園イーグルスは、ボールパーク化という多角化を図ることで球団経営を安定させようとした。

 一方、正力松太郎によるプロ野球リーグは、企業が全面に出ていた。正力にとって、プロ野球はあくまでも新聞の拡販材料だった。

 後年、読売新聞社は日本テレビを立ち上げ、そこでジャイアンツ戦を独占的に放送。プロ野球が国民的な人気を博していた時代。ジャイアンツ戦の放送は、莫大な広告料を得られるドル箱コンテンツでもあった。

 企業が球団のメインスポンサーとなっていた時代には、ボールパークといった概念は忘れ去られる。

日本でもボールパーク化が動き出す

 日本で再びボールパーク構想の機運が高まるのは、阪急ブレーブスから球団経営権を取得したオリックスによるものだった。

 オリックスは阪急が本拠地としていた西宮を引き続きホームタウンにしていたが、1991年に神戸を本拠地に移した。同時に、ブレーブスというチーム名をブルーウェーブに改称している。

 神戸に移転後、阪神・淡路大震災を経験。悲運に見舞われたオリックスだったが、その分、地域とのつながりもつよくなった。

 一方、オリックスの所属するパシフィックリーグは、球界の盟主・読売ジャイアンツがいないために定期的なテレビ放送がなく、人気はセントラルリーグの後塵を拝していた。

 人気がなければ観客は少ない。テレビ放送がなければ、放映権料も入らない。また、スポンサーもつかない。

 そうした事情から、オリックスは地元密着をテーマにボールパーク化に取り組むようになる。オリックスがボールパーク化に取り組んだのは、企業に頼る球団経営からの脱却。いわば、自立した球団経営への模索だった。

 2000年からは、2軍をサーパス神戸に改称。サーパスはゼネコン大手の穴吹工務店のブランド名だったが、これは2軍にスポンサーをつけることで球団経営を自立させる目的があった。いわば、ボールパーク化の延長線といえる。

他球団にも波及するボールパーク化

 こうしたオリックスの手法は、横浜DeNAベイスターズでも模倣されている。横浜はその名の通り横浜をホームタウンにしているが、2軍は横須賀に本拠地を置く。1軍と2軍を切り離し、それぞれが球団経営を自立させることで親会社に依存しない体制を構築しようとしている。

 オリックスと近鉄が統合し、新たに大阪ブルーウェーブが誕生。プロ野球界は一時的に11チームになり、球団再編も囁かれた。

 その際、新たに加盟した楽天は、これまでプロ野球空白地帯だった東北をホームタウンにすることを宣言。仙台を中心に試合を開催している。

 その楽天イーグルスも、IT企業という特性を活かした新時代のボールパーク化に取り組む。今後も、時代とともにボールパーク化は多様な進化を遂げるだろう。


 


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