【書籍・資料・文献】『地方の王国』(講談社学術文庫)高畠通敏

侮れない統一地方選 

 4年に一度の統一地方選が迫っている。現職知事・市長が在任期間中に死去したり辞任したり、議会の解散といった理由で統一率は低下しているが、それでも全国の地方自治体が一斉に選挙を実施するのは、ある意味で大きな出来事だろう。

 統一率が低下すると、世間の関心は薄くなりがちだ。だから投票率も低くなる。ただでさえ地方選の関心は低く、低投票率の傾向があるのに、それに拍車がかかれば、もはや選挙は民主主義のシステムとして機能しない。

 民主主義の根幹を支えるのは選挙だが、国政でも衆議院と参議院は選挙選挙制度が異なる。地方はさらに違う。また、地方独特の事情があり、それらが国政とは異なる結果を導き出したりもする。

国政選挙だけでは地方の事情は見えない

 例えば、岩手県は長らく小沢王国と言われてきた。小沢一郎の選挙区だけにそうした呼ばれ方がするのだのだが、小沢一郎議員が自民党の政治家だったら、単に保守王国で済まされたかもしれない。

 一方、社会党党首で総理大臣を経験した村山富市さんの選挙区でもある大分県は社会党王国と言われた。そうした地域独特の政治色は、根強く残る。一昔前なら、そうした地域独特の政治色は、政界だけではなく経済界がつくり出している部分もあった。

 山形県は、長らく山形新聞や山形交通などをトップに君臨した服部敬雄が山形を支配した。県知事や市長なども服部敬雄には頭が上がらず、服部天皇とも揶揄された。

 その服部王国は遠くなり、鉄の結束を誇った田中角栄元総理大臣のお膝元・新潟でも、田中王国は脆くも崩れ去った―ーまさに、盛者必衰。

 そうした数ある地方選でも、都知事選都議選はわりと中央政界を左右する大きな選挙と位置付けられている。都知事選は首都の首長を決めるだけではなく、最大の小選挙区制による選挙でもあるからだ。

社会や時代も大きく反映した地方の政治事情

 また、高度経済成長期やバブル期など、日本経済が右肩上がりだった時代は、地方の知事に求められるのは中央とのパイプだった。そのため、地方の知事は、旧自治省の天下り指定席などとも揶揄された。

 地域の実情に知悉している旧自治官僚なら、うまくその地域の問題点を把握し、それを中央の政治家に陳情してくれるからだ。地方交付税や公共事業のお願いも、旧自治官僚ならではのものだろう。そうした役割が知事には課されていた。

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