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出会い系サイトで「ひとり出会いたくない系」をやっていたら、いつの間にか出会い系で知り合った男性と結婚していた話。

出会い系サイト。
愛と欲望の渦巻く男女の密やかな交流所。
今ではマッチングアプリが出会いの場所になっているけれど、2010年当時はまだ主流ではなく(そもそもスマートフォンを持っている人がそこまで多くなかった)真面目に出会いを求めている人は、有名な出会い系サイト(Y〇hoo!パートナーが代表的)に課金をして入会する、そういう流れがあった。それ以外だとm〇xiなどのSNSで趣味が同じ人と出会ったり。私の周りでも出会い系サイトやSNSで結婚したという人は割と多い。

そして私はというと、出会い系サイトで「ひとり出会いたくない系」女子をやっていた。
もちろん課金はしている。でも出会う気がゼロだった。ただの気まぐれ、というか他人ひと様のプロフィールを読むのが好きだったのだ。なお、メッセージが送られてきてもほとんど無視。はたから見たら「なにをしとんねん」状態だったが、それが趣味なのだから仕方ない。
因みに私のプロフィールは過剰なまでの箇条書きで、希望する男性の居住地は関東3県(東京・埼玉・神奈川)だったから、奈良県に住んでいる私を見て「こいつ何を考えているんだ」と思った男性は多かっただろう。

あの頃のシステムをおぼろげにしか覚えていないが、顔写真がない人は基本的に読み飛ばされる。顔写真は真剣度そのものだ。それを設定しない男性(女性)に誰が交際を申し込むのだろうか。私もしっかり自分の写真を設定して、見事に仲間たちにバレたことがある。その時は「やっべ!」と退会したが、またこっそりと復活して、趣味に勤しんだ。
たまに送られてくるメッセージの中で「あ、この人面白いな」と思った人には返事をしたが、あくまでも出会いたくない系の私は、あまり相手と盛り上がる話題を共有しないようにした。

そういう行動をしているとどうなるか。
悩み相談相手になるのである。日常の悩み、出会えない嘆きを聞いて、私は返信をしていた。
私が高身長女子(170センチ)なので、高身長男子の悩みを多く聞いたが、身長が高すぎて逆に身長を少し低く設定していると聞いた時には驚いた。190センチを超えると需要がグッと少なくなると知ったのもこの時だった。

そもそも私は出会いたくない系女子をやっているので、アプローチ系のメールはスルーしていた。密やかな楽しみに恋愛はいらないのである。何度も言うが、ここは課金して参加している立派な出会い系サイトである。今思えば本当にクレイジーである。

2010年12月25日。
クリスマスなのに相変わらず趣味に勤しんでいた私は、とある男性の写真でカーソルが止まった。顔は好みだが、さてどんなプロフィールを書いているのだろう。
ありがちな「年齢より若く見られます」「趣味はカフェ巡りです」「清潔感はあるほうです」「身なりに気を遣っています」とかなら立ち去ろうと思ってリンクを踏んだ。

……。
…………。
………………。

おもしれーーーーーーーー!!
この人、おもしれーーーーーーーー!!

一人ノリツッコミ、文体が普通の自己紹介のそれと大きく離れた秀逸な表現力、そして必ず一行につき1ボケ1オチ、みたいな徹底ぶり。
あの時の自己紹介文(という名のエッセイだと私は思っている)をスクリーンショットしておけばよかったと未だに後悔している。
この男性――以後『菩薩』と記す――は、私と同じ匂いがした。私も面白い文章が書きたくて日々研究していたが、この菩薩には到底かないそうもない。
自己紹介で「ズコー」(コケる音)って書いてる人、多分菩薩ぐらいだ。
中には勿論真面目な内容(好きなアーティストなど)もあり、それが偶然私も好きなアーティストだったので、すごく悩んだ。
自分からコンタクトを取るのはこの趣味活動のルールに反する。さてどうしたものか。
30分ほど悩み、菩薩にメッセージを送ることにした。30分だけかよというツッコミはスルー。
「初めまして」から始まったそのメッセージは、好きなアーティストが一緒だという軽いジャブにしてみた。
向こうのニックネームが特徴的で、m〇xiのアカウントもすぐに判明。そしてそこに書かれていた文章は自己紹介を超える面白さだった。
自称妄想族の私の妄想が可愛く見えるくらい、菩薩の妄想は妄想の常識を逸脱していた。彼の名誉のために晒す行為はしないが、その文体に惚れている人はかなり多かったと思う。
個性のかたまり、磨けば光る原石ではなく既に光っている原石。菩薩の文章にはそれくらいの魅力があった。
しかし一つだけ問題があった。
菩薩はB型だったのだ。
私の人生でB型は親友ぐらいしか相性が合わない。B型かあ、B型なあ……と引っかかっていたが、偏見は良くないと切り替えた。

冷静に考えたら、どクリスマスに出会い系でメッセージ送るってガチっぽくてちょっと……と一瞬よぎったが、開き直ること数分後、返信が来た。
「〇〇(アーティスト名)、よきですよね。よろしくお願いします」
少なくとも菩薩にとっての顔の好みのラインはクリアしたようだった。

それからの展開は早い。
毎日のようにメッセージをやり取りして、Skypeで顔を見ながら通話し、大爆笑の日々を過ごし、そして1ヶ月後の2011年1月23日に東京で会うことになった。待ち合わせは都営大江戸線、都庁前駅。
実はこの時足を負傷していて、松葉杖で東京まで行った。荷物が常に多い人間にとって松葉杖は難関だ。某高級ホテルの宿泊予約をしていて(もちろんツインルーム、いやらしい意味はない)「お客様、お荷物お持ちしますよ」などと色々気遣われ、ホテルマンのホスピタリティの高さに全私が泣いた。

松葉杖で都庁前駅のエレベーターを使う。
エレベーターの前で菩薩が待っていた。その時だった。後頭部に「ゴン」と音が聞こえるようなものすごい衝撃が走り、星が見えた。
バールのようなもので殴られたような衝撃とは「私の理想」が立っていたからだ。
悲しい話だが、私が今まで付き合った男性はオシャレにあまり興味のない人が多く、オシャレに興味があったとしても私の好みとは違っていた。
だが、目の前の菩薩は違う。
ベロアジャケットが嫌味じゃなく、帽子もオシャレ。眼鏡姿でニコニコと笑っている菩薩に私はフォーリンラブしてしまった。
菩薩はしょっちゅう「一緒に恋に落ちてくれないんだよー、僕だけ落ちても仕方ないんだよー」と日記に書いているくらいのトゥーシャイシャイボーイ(この表現が通じる人はきっと同世代、観月ありさ可愛かったな)。

告白は私からだった。
私から告白してフラれる確率、100パーセントだったのに、告白は大成功した。菩薩にとって私は初彼女。私にとって菩薩は17人目の彼氏だった。

出会いたくない系女子の私は、菩薩と出会った記念日の12月25日に花嫁になった。
私の人生におけるサンタクロースは菩薩だったのかもしれない。
あれから随分経ったが、今も仲良く暮らしている。

これが私と菩薩の馴れ初め。

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