オガワのシコウ。[素直]

 ――あなたは素直なひとだ。

 と、臆面もなく言われることがあります。喜ばしいことなのかもしれないのですが、本人にその自覚はありません。何故ならば私は基本「正直」に生きていて、「素直」と「正直」にはとても差があると思い込んでいるふしがあるからです。
 また更新するであろう「嘘」の項目でも触れますが、「嘘」は非常に苦手なジャンルです。「正直」で居たほうが楽な分、責任もあってどちらが良いのかと訊かれたら答えに詰まってむせてしまいそうです。こんな生きづらい世の中なので「嘘」は多少あったほうが色々と便利なのかもしれません。ですが、私は「正直」すぎて余計なおせっかいや衝突などを招いて更に周りの人たちまで巻き込んでしまって落ち込んだりします。

 随分と話が逸れてしまいました。つまり「正直」はやや主観的で自分以外の誰かにも言えるコトバ、「素直」はあくまでも客観的なもので自分に対して言わないコトバ、でしょうか。辞書で調べてみると意味が曖昧ですが前述のように考えると割としっくり来ます。余談ですが「馬鹿正直」というコトバがあります。でも「馬鹿素直」というコトバはありません、私の知る限り。「お前ホンマに馬鹿正直やねん」と言われることがあっても「お前馬鹿素直やねん」と言われたことはありません。「馬鹿」というコトバマジック、恐るべし。自分でばかしょうじき……って言ったことはないなあ。
 
 「正直」であることイコール「素直」であること、なのでしょうか。いつもここで私は戸惑ってしまいます。私はそう思っていないからです。すごく曲者。どれだけ客観的に「素直だね」と言われても、そのコトバの眩しさにふさわしくない人間だと拒絶してしまうのです。それが私の「正直」な想いでもあります。なぜだろうなぜだろうと、この文章を書く前に頭の中で様々な繋がりのあるコトバを呟いてみました。あくまでも私の主観による呟きです。

「正直」……裸、泥臭い、ありのまま、余計、感情、闇
「素直」……美しい、きれい、素敵、清らか、優しい、柔らかい

 恐らく私の語彙力が足りていないからなのですが、非常に壁があって、真逆のように感じるのです。どう見ても「素直」の方がきらびやかです。人間が(少なくとも私は)渇望するものばかり出てくるので、どうしてこういう繋がりしか出てこないのだろう? と「素直コンプレックス」の呪いにでもかかっているのかと錯覚したのですが、ありました。原因が、あったのです。

「正直者が、馬鹿をみる」

 ああ、なるほど。ここでまた「馬鹿」のコトバマジックが現れました。私はこの「馬鹿」に否定的なイメージを持っていないのですが、何故か「正直」と組み合わせるとマイナス印象に聞こえてしまう不思議。これは一体どういうことなのでしょう、と突き詰めていきたいのですが

 きっと、答えは、でない。

 と「正直」に白状します。ああ、白状っていうコトバもなんだかよろしくないイメージ。

 でもね、相応しくないかもしれないのですが、嬉しいんですよ。「素直」だって言われること。だってそれは私が「正直」に生きていることを肯定されている、そんな気がして。なのでこれからも「素直」を追い求めて「正直」に生きてみよう、と思えるのです。あ、こう書けば「正直」も「素直」に近い素敵さを放つのですね。