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【ノアール小説】 「es」 episode_009

「玲香さん、お願いします」
 待機席の史子に声がかかる。
「ご指名の岡崎さんがおみえです」
 今日、出張から帰ってくるんだったんだよね、成田から真っ直ぐきたのか
 テーブルにいくと、ニコニコした岡崎が座っており、今やおみやげの定番となった免税店の袋に入ったシャネルのチャンスを手渡される。
「成田から真っ直ぐ来てくださったんですね、うれしいです」
「玲香ちゃんの顔が見たかったし、大事な話もあるんだ。とりあえず、いつものモエと赤ワイン・・・いや、モエじゃなくて、あのピンク色のシャンパン、あれにしよう」
「ドンペリニヨンのロゼでございますか」
 史子を案内してきたラッキーが確認をとる。
「そう言う名前なんだ、ピンドンっていう名前じゃないんだね」
「左様でございますね、そう呼ばれるお客様もいらっしゃいますが」
 ラッキーがインカムで指示を出しながら、次のテーブルへ向かっていった。
「何かうれしいことがあったんですか、ドンペリのピンクなんて」
「玲香ちゃんにとってもうれしい話なるはずだよ」
 岡崎の言葉が、頭の中の警報ベルのスイッチを押す。しかし、引っ張れるだけ引っ張るって決めたんだし
「ほんとうですか」
 ドンペリニヨン・ロゼが運ばれてくる。
「乾杯」
「乾杯。それで、うれしいことって、なんですか?」
「玲香・・・」
 岡崎が、堅い表情で言う。
「いや、真由美、俺とつき合ってくれ。もちろん、いいだろ」
 言い終わって、グラスを一気にあける。
 そうきたか・・・でも、そういう時期だよね
「岡崎さん、お店の中で本名で呼ぶのは、やめてください」
 史子は、大きな声ではなかったが、きっぱりとした口調で言った。
「ごめん・・・・・。でも、店とかじゃなくて、素の、真、いや、玲香が好きだから」
 さっきの毅然とした態度から一転し、気弱な表情に戻った岡崎は力なく言った。
「岡崎さんが、私に好意を持って頂いているのかな、とは思っていました。私も岡崎さんを、お客様ということでなはなく、立派な社会人して尊敬しています。でも、岡崎さんの好意って、私ががんばってることを応援してくれるという意味だと思っていました、保護者っていうか、お兄さんっていうか・・・岡崎さんがそう言う眼で私を見ていたなんて、なんか、ショックです。」
 そういって史子は、俯いたままだまりこんだ。そして、ハンカチを取り出し、泣いてもいない眼に、軽く当てる。
 これで納得してくれなきゃ、困る。つき合うどころか、同伴以外で店の外で会うこと自体、無理だし
「ごめん、ごめんなさい。だから、泣かないでくれ」
「わかってくれます、私の気持ち」
「わかるけど・・・客じゃないんだよね」
「お客様はお客様ですけど、ただのお客様っていうわけじゃないです」
「そっか。でも、彼氏にはなれないの」
「まだそんなこというんですか。今の私は、恋愛とかよりも自分の夢にがんばることの方が大切だから、彼氏とか、そういうのは・・・」
「でも、寂しくない?」
「それはそうですけど、でも、まず、夢のことだし。それから、こうやって岡崎さんが応援してくれなら、寂しさはなくなります」
「そうだよね、もっと俺に頼ってくれよ、何でも相談してほしいな。いつもそばにいてあげるようにするからさ。それに玲香は俺の話を真剣に聞いてくれるし、俺のことも本当にいろいろ気を遣ってくれるしね。特別な関係ってことだよね」
 店以外でそばに寄られてもキモし。でも、勘違い度がアップしたかもしれないな。まぁ、つき合うっていう話は、これでおしまいにできるし、客として引っ張ることもできそうだし、いっか
「ありがとうございます」
「ほんと、なんでも言ってくれよ。夢って、まずは英語の学校いくことだよね」
「そうです、まずは学校」
 そういいながら、頭の中に浮かぶトゥールビヨンレボリューションに語りかけた。
 いつになったら届くかな
 
 翌日、田淵から電話があった。
「明後日の昼間、会社に遊びにくる? そのあと、遅めのランチでもどうかなと思ってさ」
「いいんですか、ありがとうございます。ぜひ、うかがわせてください」
「何が食べたい? 肉と魚、どっちが好きなのかな?」
「お魚の方が好きです」
「そう、それじゃ、待ってるから」
「お忙しいのに、本当にすいません」
 田淵のオフィスは、幡ヶ谷の駅から五分ほど歩いた住宅地に建つビルにあった。ガラスとメッシュのパンチングパネルを効果的に使った五階建てビルは、非常に凝った造りで、明らかに名のある建築家が設計したものとわかるものだった。ビル全体を田淵の会社が使っていた。
「いらっしゃい。すぐにわかったかな?」
「はい、すごく綺麗なビルですね」
「一応、インテリアで食べているんで。三階までがオフィスで、その上が私の住居なんだけどね」
「そうなんですか」
 一階がショールーム、二階がいくつかの個室に分かれたミーティングルーム、三階がオフィスになっている。オフィスもパーテーション仕切られたブース形式になっており、数人のスタッフが働いているだけだ。
「社会科見学といっても、これじゃよくわからない・・・というか、オフィスを見ただけでは意味がないよね」
 ガラスで仕切られたオフィスの中にある自室のソファーに座って、田淵が説明する。
「私がインテリアを扱っていることは、知っているよね」
「はい」
「誤解を恐れずにいうと、私はインテリアの仕事がしたくてしているわけではないんだ。もちろん、インテリアは好きだけど、インテリアを売ること自体が楽しいわけでなくてね」
「どういうことなんですか?」
「アルゼンチンのサッカー選手で、リーガエスパニョーラのFCバルセロナにいるメッシっていう人を知っているかな?」
「サッカーは、特別興味があるわけではないですが、テレビで見たことあります。ボールを蹴る方向とは逆の方を向いてパスして、それがちゃんと見方に届いてゴールしたのをテレビで見て、びっくりしました」
「そう、誰もができるわけではないことを、彼はやっている。それは全て情報なんだよ」
「情報?」
「そう、情報。情報といっても、『男の子に大評判。今のめちゃモテスタイルはこれだ』とか『夏休みに一日で満喫できる軽井沢情報』といった情報のことではないんだよね。簡単に伝達できる、逆に言えば誰でも手に入れることができる情報は、情報ではないんだ」
「わかるような気がします。情報通とか言われる人に限って、実は大して中身がなかったりしますからね」
「玲香ちゃん、厳しいこというね。でも、それは正解だと思うよ。メッシのプレーは、そういう状況で、どういう分析をして、どう動けばよいかという戦略がなければ成り立たない。そして、その戦略を実行できるだけのスキルが身に付いていなければならない。戦略を立てることとスキルを身につけることは、練習という努力とそれを試合で試して成功したという実績というか自信、そして才能があって初めて手に入れられるもので、そういうものが本当の情報なんだよ。手に入れるのが困難で、その人にしか手に入れることができないもの、それが情報」
「生意気な言い方ですが、わかるような気がします。そこまでじゃなくて、もっとスケールが小さくても、その人しか持って情報を沢山持っている人は、魅力的ですものね」
「そういうこと。私は、そう多くはないけど、いくつかの局面でそういう情報を得る努力をしていて、それがビジネスになっているわけなんだ。だから、インテリアの仕事もその局面の一つという意味で、インテリアを売ること自体は楽しくない、と言ったんだ。情報を得る過程とそれがビジネスとして成り立ち、成果をあげることが好きなんだよね」
「つまり、そういう仕事をしてみなさい、というのが、田淵さんの社会科見学の意味なんですね」
「玲香ちゃん、いいね。好きになりそうだ」
 そういって田淵は微笑んだ。
「からかわないでください」
「いや、そういう風にきちんと理解できることは、魅力的だ」
 この自信が嫌味でないのは、なぜだろう。そして、私を見つめる眼に、少しだけ影が見えるのは気のせいだろうか。和明を含め、いままで出会ってきた男とは全く違うタイプの男だ
 認められたい
 この男に認められたい
「田淵さんにそう言われると、なんだか本当にそういう気になってしまうじゃないですか」
「それは私もうれしいな。ところで、今日は時計を気にしてないようだね」
 そう言われて史子は、田淵の時計に意識がいっていないことを、気がついた。時計より、田淵に意識がいく。
「だって、ジロジロ見るのは、失礼じゃないですか」
「本当にそれだけかな・・・・それじゃ、ランチに行こうか。美味しいお寿司でも食べようか」

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