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【ノアール小説】 「es」 episode_011

 史子は、田淵のベッドで意識が覚めた。いって意識を失ったあと、そのまま眠っていたようだ。見回しても、田淵はいないが、バスローブとタオルが準備されていた。その上に、メモが置いてあった。
『仕事で出かけます。鍵は勝手にしまるので、心配しなくても大丈夫』
 メモは続いている。
『君はちゃんと存在しているんだ。存在していることを疑って、自分を探してはダメだよ、寂しくなるだけだ』
 田淵のメモは、そこで終わっていた。
 
 八月に入り、猛暑が続いた。テレビのニュースキャスターが、記録的な猛暑です、と伝えている。一人の部屋で、岡崎は、貯金通帳を眺めていた。
 貯めるのは、時間がかかるが、無くなるのは早いな
 スプレンディで史子に使った金額は、五百万を越え、通帳の残高は、ゼロに等しくなった。
 これじゃ、もう、真由美に会えないな。でも、これだけ応援したんだから、真由美だってわかってくれるはずだ。ちゃんと話をして、先の事を決めよう
 岡崎は、史子にメッセージをした。
「今度の土曜日、美林閣で会いたい。話があるんだ」
「同伴ですか? ありがとうございます。いつも時間でいいですか?」
 岡崎は同伴する気はなかったが、それは言わずに返信した。
「いつもの時間でOKだよ。楽しみにしてるな」
「ありがとうございます。私も楽しみにしています」
 メッセージを返した史子であったが、微かに、頭の中で警報ベルが鳴った。
 最近、店に来る回数が減ってきたし、会計にも細かく気を遣うようになってきた。そろそろ限界なのかな。だとしたら、こういう同伴は、危ないな・・・ちゃんと切ろう
 店用携帯のスケジュールに岡崎との同伴を記入しつつ、見るともなしに、カレンダーを操作していると、ある日付で眼にとまった。田淵に抱かれた日である。
 あれ以来、田淵とは会っていない。連絡もなく、こちらからもしていない。もう一度抱かれたら、しかもあんな方法で抱かれたら、田淵に依存してしまいそうで、イヤだったからだ。
『自分を探してはダメだよ、寂しくなるだけだ』
 あれ以来、無闇にフランクミューラーにひかれる気持ちはなくなった。その代わり、真剣に貿易の仕事をしてみようと思い始めていた。そして、ショートステイでなく、アメリカの大学に移ることを計画し始めた史子だった。両親には反対されるだろうが、無視するつもりだった。そのためには、貯金を増やさなければならない。
 新しいのを探さないと
 史子は、今いる客の中で、岡崎の代わりになってくれそうな客を見繕っていた。
 
「真由美、俺とつきあってくれ」
 料理があらかた出てきたところで、岡崎が、言い出した。
「どうして、そういう事を言って、私を苦しめるの?」
 岡崎を切るつもりである史子は、そういう言葉が岡崎から出ることを予測して、すでにシミュレーションを済ませていた。
「真由美は、俺のことが好きなんだろう。俺も真由美のことが大好きだ。だから、お店じゃないところで、二人で過ごしたいんだ。普通のカップルのように」
「どうして、岡崎さんは、そういう風に決めつけるの? 確かに岡崎さんを、お客様というだけでは見てないと言いました。でも、保護者みたいなもので、恋愛とかそういうのではないって、ちゃんと説明したと思います」
「でも、俺がこれだけ好きで、こんなにいろいろしているのは、わかっているだろう。なんで、それを受け止めてくれないんだ」
「いろいろって、お店に来て頂くことですか? でも、私から、来て下さい、ってお願いしたこと、なかったと思います。岡崎さんが、応援したい、ってご自分の意志で来ていたんじゃないですか」
「そりゃ、そうだけど。でも、俺の気持ちをわかってて、真由美は、いろいろ話してくれたり接してくれたりしたんじゃないか。もう、ちゃんと、つきあってくれよ」
「それは、できません。本当に、無理です」
「それじゃ、いつまで、待てばいいんだよ」
「待って頂いても・・・」
「じゃ、もう、店には行かない。店以外で応援するから、会ってくれよ」
「いつも説明しているように、本当に学校とお店だけで、私、時間がとれないんです」
「真由美!」
 岡崎が、史子の手を取ろうとして、テーブルの料理が、床に落ちた。その大きな音に、店が一瞬、静まりかえった。
「いい大人が、みっとないんじゃないかな」
 その声の先には、和明が立っていた。
「君には、関係ないだろう」
 岡崎が、声を震わせて、和明に言う。
「そういうわけにはいかないんですよ。俺はクラブカイザーの大輝っていうんですけど、玲香ちゃんはうちのお店の常連の方と仲がいいので、知らない方でもないし、同じ歌舞伎町の住人として、こういうのは見逃せないんでね」
「ホスト風情が、カッコつけてるんじゃないぞ」
 興奮した岡崎が立ち上がる。
「岡崎さん、他のお客さんもいるので、おちついてください」
 店長の楽が割って入った。
「岡崎さん、もう、お店に行く時間です」
「今日は、同伴しない。もう、店には行かないよ。ちゃんと外で会おう」
「無理言わないください」
「玲香さんがいやがってるだろう。行こう、今日は、俺が同伴するから」
「大輝・・・」
「ちくしょー」
 岡崎が、和明に殴りかかっていった。和明はそれをかわし、足を引っかける。岡崎は倒れ込んだ。
「暴力は、よくないですよ」
 そういいながら、和明は、岡崎の財布を取り、中から名刺と免許証を抜き取った。
「玲香さんに迷惑かけるようなことがあったら、会社に行きますから。それじゃ。玲香さん、遅刻になるから行きましょう」
「岡崎さん、ほんとうにごめんなさい。でも、もう無理は言わないでくださいね。また、連絡します」
「真由美!」
 後ろで、自分を偽名で呼ぶ声が聞こえたが、史子は振り返ることはしなかった。

「俺、余計なことしたか?」
「全然、今日、切ろうと思っていた客だから、大丈夫よ。でも、あんなに熱くなるって思わなかったから、ちょっと驚いちゃった」
「もう、連絡取らない方がいいな。気をつけろよ、ああいう普通のリーマンが一番危ないんだよ。店の外で待ってたりするから、しばらくは一人で帰らない方がいいな。なんかあったら、電話しろよ。助けてやるから」
「わかった、ありがとう、やさしいね」
 和明は、煙草を取り出し、下を向いて、何も答えない。
「ありがとうって、言ってるの。聞こえてる?」
「ああ」
「ところで、何で美林閣に来たの?」
「あそこで、玲香も知ってる田淵さんと待ち合わせなんだ。少し、早めに行ったら玲香がいたわけ」
「田淵さん?」
「そう、だから、伝票だけ立てて、すぐ戻らないと」
「いいよ、そこまでしてくれなくても。でも、田淵さんと何で待ち合わせてるの?」
「前に言っただろ、店とは別の仕事してるって。あれ、田淵さんが絡んでるんだ」
「田淵さんが?」
「そう、でも詳しくは言えないから。本当に大丈夫か?」
「田淵さんって、すごいよね」
「玲香もそう思うか? もしかして、玲香・・・」
「そんなんじゃないけど」
「俺もあんな風に生きてみたいよ」
「大輝だったら、やれるよ」
「そうか? 田淵さんみたいになれたら、もう一度、俺とやり直してくれるか?」
「大輝・・・」
 二人はスプレンディの前まで来ていた。その時、和明のスマホが鳴った。
「仁からだ、もしもし、あぁ? それやばくないか、ちょっと待ってろ」
 和明は、スマホをはずす。
「玲香、大丈夫か、気をつけろよ。俺、行かなくちゃいけなくなったからさ」
「大丈夫。ほんとうにありがとう」
「じゃあな」
 八月の土曜日は、さすがのスプレンディも暇だった。史子は、麻菜と待機席にいた。
「というわけで、今日、切ったんだ」
「そうなんだ。でも、大輝君がいてくれてよかったじゃん」
「ほんと、それは助かったって感じ」
「中国語オヤジ、今頃、どうしてるかな、店の外にいたりして」
「やだ、ちょっと、やめてよ」
「でもさ、無い訳じゃない話だから、一緒に帰ろうよ。そうだ、カイザーいかない? ホストへのお礼は、やっぱ、売上でしょ」
「そうだね、んじゃ、久しぶりに行こうか」
「よっしゃー」

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