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【ノアール小説】 「es」 episode_004

 史子が待ち合わせの喫茶店に入ると、既に岡崎は来ていた。
「ごめんなさい岡崎さん、最初の同伴に遅れるなんて、失礼な子ですよね。謝ります」
「玲香ちゃんは悪くないよ。まだ、約束の時間前だし、俺が早く来すぎただけだからさ」
「でも、岡崎さんを待たせたのは、事実だし」
「ほんと気にしないで。それより今日は、玲香ちゃんをつれて行きたい店があるんだ」
「岡崎さんからお食事に誘っていただけるなんて、びっくりして、うれしかったな。どこへ連れて行ってくれるんですか?」
 谷田達と来た時も併せて、四度目の来店をした岡崎に
 六月はこれでおしまいかな
 と思いながら、翌日、お礼のメッセージをいれると、
「来週は、中国出張だから無理だけど、再来週の土曜日、一緒に晩ご飯食べよう」
 と返信がきた。
「土曜日、出勤だけど、いいんですか?」
「ご飯食べて、一緒にスプレンディに行こう」
 と返ってきた。
 待ち合わせは七時半。これなら問題ないなと思い、史子はメッセージを返した。
「うれしい、同伴して頂けるんですね。岡崎さん、お忙しそうだから、同伴なんてして頂けないと思っていました」
「そんなことないよ、これからは、思う存分、玲香ちゃんに会うことにしたんだ」
 史子は、岡崎の文章に、ふと疑問がよぎったが、空いていた土曜日に同伴が決まったことの方がうれしかった。
 アイスミルクティーを注文しながら史子は
「ほんとうに、どこにつれていってくれるんですか?」
 と岡崎に言った。同伴が決まった時は深く考えていなかった。スプレンディでは同伴料が五千円かかる。岡崎が今まで同伴を誘ってこなかったのも、史子が誘わなかったのも、この同伴料があったからだ。その岡崎が同伴を求めてきた。この変わり様は危険だ、史子は感じていた。
 まさか、ラブホに連れ込むつもりじゃないでしょうね
「実はね、うちの会社が新しく取引を始めた中国のプラスティック工場の工場長、その人の弟さんが、歌舞伎町で中華レストランをやっていることがわかって、中国出張から帰ってきてから、すぐに行ったんだよね。そうしたら、本当においしくて、玲香ちゃんにも食べてもらおうと思ってさ」
 出勤前の第一食に中華は重たいが、ラブホよりは、全然ましだわと思った史子は、ほっとしながら
「それは、すごく楽しみです。うれしいな」
と言って、微笑んだ。
 岡崎が案内した店は、花道通りのコンビニを一本裏に入ったところにあった。あまり豪華な作りとはいえないが、客のほとんどが中国人で、繁盛している。
「こちらが楽さん。楽さん、紹介します。スプレンディの玲香さんです」
「有名なお店ね、しかもきれいなお嬢さんですね。どうぞ贔屓にしてください」
「こちらこそよろしくお願いします。岡崎さんが、とってもおいしい店だって言ってたので、お料理が楽しみです」
「ありがとございます」
 岡崎と楽が、中国語で話をしている。終わると楽が大声で、厨房に指示をした。
「ここは上海料理の店で、上海料理と言えば上海蟹を思い出すと思うけど、今は時期じゃないので注文しなかったよ。その代わりやはり有名な小龍包は頼んだんだ。楽さんの店の小龍包は、本場上海のものよりおいしかったからね」
 次々と料理が運ばれてくる。岡崎は、その一つ一つ解説する。それから三国志の話。いつものとおり、真剣に聞いている姿だけは崩さない史子だった。
 「さあ、お待ちかねの小龍包ですよ」
 運ばれてきた小龍包は、レンゲの上で割ると、肉汁が溢れ、いい香りがする。フーフーとさましながら、口にいれると、熱い肉汁とうまさが拡がり、皮のモチモチした食感とあわさって、絶妙のコンビネーションだ。
「こんな小龍包食べたの初めて。ホントにおいしい」
「玲香ちゃんにこれを食べてもらいたくて、つれてきたんだよ。喜んでもらえて良かった。これからは、毎週、何か食べに行こうね」
「毎週ですか?」
 岡崎はやはり変わった
 彼は、そんなに小遣いを使える身分ではないはずだし
「こんなおいしいものばかりなら私はうれしいですけど、岡崎さん、お忙しいじゃないですか?それに、私、太っちゃう」
 真意を知りたい史子は、上目遣いに、岡崎の顔をのぞき込むようにして、言った。
「太った玲香ちゃんも見てみたいな。あぁ、太っても玲香ちゃんのことは嫌いになったりしないから大丈夫。俺の話を真剣に聞いてくれる玲香ちゃんがいいんだよ」
ビール飲み干して、岡崎は続けた。
「仕事も一段落して、少し余裕ができたしね、それからちょっとした臨時収入もあったし。来週も同伴しようね」
「もしかして、もうボーナスでたんですか?」
「そんなんじゃないけどね。ごめんね、ビールを飲み過ぎたみたいで、ちょっとトイレに行って、それから楽さんに玲香ちゃんが喜んでいることを伝えてくるよ」
 そういいながら、岡崎は席を立った。
 彼は中国語を介して、仕事をしている、そういう異文化とふれ合っている人だから、大丈夫だと思っていたが、間違いだった。自分が勘違いしていることをわかっていない。彼は、私が仕事のために発する言葉や行動を、そのまま受け入れている。しかも、それを勝手に解釈して、相手に同意を求めずに進めている。
 コミュニケーションって、自分の立場を闇雲に「言う」ことだけじゃない。自分の立場が正しく相手に伝わったかを「確認」できて、その上で、相手の立場を正しく「認識」できることだし。それにはちゃんとしたスキルが必要だし。スキルが必要なことすら気付かずに、「話せばわかる」と思っているそのへんのオヤジの感覚そのままだ。これからどうしよう。切るべきだろうか
 そう考えながら、何気なく顔を上げた史子の視線の先に、田淵が立っていた。
「お久しぶりです、田淵さん」
「玲香ちゃん、元気にしてる?」
「なんとか。それより田淵さんこそ、お元気でいらっしゃったんですか。すっかり歌舞伎町でお見かけすることもなかったから」
「玲香ちゃん、それって、営業?」
 笑いながら、田淵は言った。田淵はスプレンディで長くナンバーワンだった実咲の指名客で、実咲がスプレンディを辞め、六本木に新しくオープンしたクラブのママをやり始めてからは、スプレンディには顔を出さなくなっていた。実咲がママをやっている店の資金を田淵が出したという噂もある。玲香は、何度か場内指名をもらっていた。
「そんなことないですよ。でも、百合耶さんとか、まりあさんとか、田淵さんのこと、心配していましたから」
 実咲が辞めたあと、スプレンディのナンバーワンを巡って、百合耶とまりあは、激しく争っていた。きれいに、しかも一回に沢山の売上を落としてくれる田淵を自分の客にできれば、その争いを二歩も三歩もリードできるはずだと、二人が考えたのも無理はなかった。
「二人からは、よく連絡をもらうよ」
「今日は、こんなところで、しかもお一人でどうなさったんですか?」
「テーブルの様子じゃ、玲香ちゃん、一人じゃないね」
「お客さまとお食事しているところです」
「お客につれてきてもらって、こんなところはないだろう」
 田淵はいたずらっ子のような眼をして、笑った。
「あっ、ごめんなさい」
「ここの小龍包食べた? おいしかったでしょう。私も小龍包のファンでよく食べに来てたんだよ」
 田淵の視線が、史子の左腕に向けられた。
「玲香ちゃん、しぶい時計してるね。玲香ちゃんぐらいの年齢だと、普通、カルティエとかシャネルの時計を欲しがるものだけど」
 そう言われて史子が見た田淵の左腕には、トゥールビヨンレボリューションがつけられていた。八千万円の時計である。同じフランクミューラーであるが、値段に百倍の開きがある。
「田淵さん、私をからかってらっしゃるんでしょ」
「そんなことはないさ」
「私、靴は靴屋さんで、鞄は鞄屋さんで、時計は時計屋さんで買うようにしているんです。馬具屋さんや洋服屋さんで、時計は買いませんから」
「おもしろいことを言う子だね」
 史子の目を見てそう言ってから、田淵は店の奥に向かって歩き出した。
「この店、実は奥に個室がいくつかあってね。今日は待ち合わせなんだ。そこでの野暮用が済んだら、久しぶりにスプレンディに顔出すよ」
「お待ちしております。百合耶さんやまりあさんが喜ぶと思います」
「君は喜んでくれないのかな?」
 そう言い残して、田淵は店の奥に消えていった。
 トゥールビヨンは無理にしても、もう少しいいのが欲しい。そのためには稼がなければ。和明は当てにならないし、ちょっと危険だけど、彼を引っ張るか
 そう思いながら、史子がジャスミン茶を飲んでいると、厨房の奥から、岡崎と楽が姿を現した。
「岡崎さんごちそうさまでした。楽さん、小龍包とてもおいしかったです」
「そろそろ行かなきゃ行けない時間だね。玲香ちゃんに喜んでもらえて、俺もうれしいよ」

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