日記 2021年11月15日
ホスピタリティ・ソーリー
朝起きて、いつものように松屋へ朝飯を食べに行く。今日はいつもより道路が空いていて、あまりストレスはなかった。15分ほど車を走らせ、券売機までダッシュする。
食券を渡す時、もうさすがに「朝食終了時間ギリギリに来るメガネ野郎」として私の顔が覚えられているのか、パートのおばちゃんAは私が何も言わずとも「大盛にしますね」と言ってくれた。私の顔面は人から覚えられるほど濃くないだけに、ちょっぴり嬉しくて「はい、お願いします」と早口でつぶやく。
今日はもうひとつ嬉しいことがあった。私がうっかり箸を落としてしまった時、腰を曲げて手を伸ばし拾おうとしていると、ふと足音が聞こえた。
もちろん、その音の主はパートのおばちゃんAだ。彼女は、私が箸を落としたときの「カチャン」という音を聞いて、新しい箸を即・用意してきた。「どうぞ、これお使いください」と言う彼女から箸を受け取った私は、ありがとうございます、となけなしの声量を振り絞って答えた。
私は声が小さい。
いつからこうなったのかは分からないが、少なくともハッキリと分かるのは小学校6年生の時からだ。なりたくもなかった「代表委員会」に半ば強制的に就かされ、嫌々ながらも「あいさつ運動に」参加した。
事前の練習で、自分の中では精一杯の声を出していたつもりだったが、私だけ最後までOKが出なかったのだ。おかげで、下級生の目の前で延々と虚空に向かって「おはようございまーーーす↗」と叫ぶ羽目になった。そのときから、なんとなく気になっていた。
中学校1年生になってから声変わりを経ると、更に声が「低く」なった。もともと小さかった声が更に「通りにくくなった」私は、当時所属していたソフトテニス部の顧問から「お前は声が小さい」と2年半ひたすら言われ続けてきた。
私の声は通らない。
精一杯の声を出していても、聞き取ってもらえないことがある。このことは、小学校から今に至るまで、ずっと重くのしかかっている。
大学に入ってからは人と話す機会が増え、ずいぶんとマシになった方だ。それでも、オフモードの時にいきなり話しかけられると準備不足で、小さな声しか出せないなんてことはよくある。私にとって、大きな声を出すことには準備運動が必要だ。スイッチをオンにしなければいけない。
だから、いつもよくしてくれるパートのおばちゃんAをはじめとした人々に、気持ちよくあいさつが出来ないときがある。
日本ホスピタリティ推進協会( JHMA)の定義によれば、「ホスピタリティ」とは、サービスを提供する側、サービスを受ける側の私たちが両方が相互に満足することで初めて成り立つ。
私の声が小さくて通りづらいせいで、パートのおばちゃんAやその他の人々が私を喜ばしてくれても、私がその喜びに応えられないかもしれない。相手によっては、「なんだこいつ、無愛想だな」と相互満足が実現せず、ホスピタリティが成立しないかもしれない。
だから私は、いつも「ごめんなさい」を心の中で唱えるのである。愛想よくできなくてごめんなさい。それでも、私はあなたのサービスに感謝しているし、尊敬しています。そして、成立してないかもしれなかった「ホスピタリティ」に向かって、ごめんなさい。そう思いながら、うまく声が出なくても気持ちが伝わるように、いつも首を使って精一杯の会釈をする。
私はあと数か月で、この町からいなくなる。
あとほんの数か月だけお世話になるこのパートのおばちゃんAは、私がこの町から居なくなったことに気づいてくれるだろうか。「あの声が小さい朝食ギリセーフメガネ野郎、そういえば最近見ないわね……」と一瞬でも思ってくれるだろうか。
そう思ってくれるならいいな、とか考えながら、お椀に残った米粒をちょこちょこと拾って口に運んでお茶を飲みほし、席を立った。
店から出るとき、かなり頑張って声を張った。出口からはパートのおばちゃんAは見えなかったが、精一杯の声量で「ごちそうさま」と言った3秒後に、厨房の奥から「はーい!またお越しくださいませ」の声が聞こえる。
今日も取るに足らない、とても特別な一日だった。
温泉記録:サムネの戸倉上山田温泉、かめ乃湯で入浴。露天風呂で気まずい仲どうしの爺がいたらしく、第三者の爺の話に聞き耳を立てる。
「あの二人は磁石のS極とN極で、反発しあってるんだよ」
どうしても馬の合わない人どうしならしょうがないか、と思う気持ちと、いつか反発しなくなればなぁと思う気持ちどうしが、私の頭の中で反発していた。20分だけ入浴し、帰宅した。おわり。
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