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NFTで200円が50万円に、その利益は誰が生み出したものですか


#LLAC というプロジェクトが進んでいます

NFTは優先購入権を手に入れると、すごく安く手に入るため優先購入権(AL)を欲しがる人は多いです。

欲しいあまりに、
一部のユーザーに不正行為があるといいます。

そこでAL11日から目視で審査を始めて5000人位にALを配り、1次で一部販売し、2次で追加販売をしていく詳細をマーケターのイケハヤさんがプレミアムでお話しされました。


イケハヤさんの目指す新自由主義からの脱却

#新自由主義 という経済用語をご存知でしょうか。

ざっくりいうと、個人の自由や利益、既得権益を最大化して、政府の役割を縮小していくことです。

個人が市場の中で大きな利益を得ることを是として、個人の利益だから国が税金を徴収するべきではない、富裕層の人の税金を減らすべきだ。大富豪からの税収を多くすべきではない、 とする #ネオリベ という考え方です。

稼いだお金は完全に自分のものだ、といって税金を払いたくないから海外に行く人までいます。

個人の努力で獲得したその利益はすべて個人に帰属するべきだ、自分で獲得したお金を全部自分のものにすべきだ、という考え方がいまは支配的です。

なので個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきだ、という考えに基づいています。


努力できるまでにいたれない人にも親切に

しかし、イケハヤさんは必ずしもそれが正しいとは思いわないといいます。

世の成功者には「お前が貧乏なのはお前の努力が足りないからだ!」という人もいるけど、それは運よく努力ができただけではないですか、といいます。

努力によって何かをなしとげた、というのはもちろんそうなのだけど、努力ができるまでにいたれない、環境的な意味でその人の責任ではない人もいる、ということも気に留めたいといいます。

生まれながらに耳の聞こえない人、
不慮の事故や病気で目の見えない人、
その人の努力が足らなかったのでしょうか。

資本を持っている人、影響力を持っている人が、偉くなりがちですが、そんなに偉いものではないし、これを解体していきたいといいます。たしかに個人の自由なんだけど、それを全部自分のものだと考えるのは間違っているのではないか、といいます


#CNP なり、 #APP なり、 #LLAC も最初200円から始まりますが、わずか半年でなぜか50万円くらいになっていくという嘘みたいな話があります。

その含み益はあなたのものです。あなたの自由です。

でも考えてほしいのはその利益は誰が生み出したものなのですか、ということです。

これをしつこく問いかけたい、といいます。

誰が成し遂げたものなのか、どのようにしてそのように価値をもったのかと考えてほしい、といいます。

みんなの力だということは、否定できないです。

応援して、買ってくれて、成長を手伝ってくれて、運営メンバーなど色々な人の努力が結集して、それがここまでの形になったからです。

誰か一人の力ではなく、多くの人の力が元気玉のように集まってくれて値段が上がってくれたというのは見てわかることで、生々しく実感していることと思います。

一人の力で成しとげたわけではなくみんなの力で価値が上がったということを納得できれば、扱い方が変わると思うといいます。

ツイートとかで拡散したことにより、その恩恵を受けている状況になれば、全部自分が独占できるものだと考えるのは傲慢なのではないか、という気づきが得られるようになります。
イケハヤさんはそういうことをやりたい、といいます。

証券口座にある株を全部自分のものだと、思う人もいます。しかし自分の力でその株価があがったわけではありません。誰かが頑張ってくれて、プラス100万円は誰がどのようにして作ったのかと思うと、謙虚さが生まれてきて、それをどう扱うかを人間は考えられる、といいます。

株だと俺がトレードで稼いだ金だ思えてしまいますが、NFTはコミュニティがあって、お互いのことをちゃんと考えて、リアルに顔が見えているので、価値をどう扱うかに一定の謙虚さやリスペクトが生まれていく、ていう風に感じているとのことです。

イケハヤさんは、過度な個人主義に汚染されていると言っています。

過度な個人主義に汚染されていくと、100%自分がコントロールできると錯覚して、これはおれのもんだ!税金納めたくないからドバイに行く!と節税のためにドバイに行くという考え方になりがちです。

市場経済が発展していくと個人主義が肥大化していきます。

自分一人がお金を稼いでそれはすべて俺のものだといっても、世の中は面白くなりません。みんなで共有していくというスタンスを、これからの時代でつくれるならその方が良くないですか、といいます。

会社つくって上場したぜ!というのが、もはやステータスになるとは思わない、といいます。

事業をつくって売却して数億円の資産を手にすることがいいことだと思っていましたが、いまは価値観が結構変わってきていてそれほどいいことだと思わない、とまでいいます。

20億円で売却して現金が入ったところで、何するか、美術館つくろうか。メンドクサイなと思えてしまい、そういうことではなく、みんなでつかえてみんなで利用価値をたかめていくことが楽しいといいます。

自分に利益に入らなくてもいいので、パブリックなものをつくっていくということがカッコよく見えると感じるといいます。

#イーサリアム という暗号資産をつくった #ヴタリック・ブテリン は、これほどの成功をおさめたインフラをつくった割には、実ははそんなにお金を持っていません。

それはイーサリアムが使われれば使われるほど、ヴィタリックにお金が入るという仕組みになっていないからです。

やろうと思えばできたのに、最初から中抜きなんかないしないし、パブリックなものとしてつくって、誰もが自由に使えて分散的に管理されるようになっています。

ビットコインも、手数料はビットコインのメンテナンスする人に支払うようになっており、サトシナカモトにお金が入るような設計にはなっていません。

自分たちの利益を得るというのがダサいです。
創業者がめちゃくちゃ儲かるというのは、ダサいです。


みんながチャンスを得たりできる、最初から富がみんなにいきわたるような設計の方がカッコいいと思っています。

誰もがが自由に使えるようなものをつくり、パブリックなものをつくる。それをやると創設者にお金がはいらなくなる、それでいいんです。

価値というものを個人の中に閉じ込めて結晶化させるように制度発展してきてますが、価値をみんなで空気中に解放するようにしていけるようにしていきたい、といいます。

これが新自由主義からの脱却

#公益資本主義 にしていくとか、 #コミュニティ資本主義 にしていくとか、実際問題、力を持ちえなかったわけです。

資本主義の力に戦力で乗っかっているのに個人がすべてを独占するのではなくて、みんなで価値を高めていこうということができる、全力的な資本主義に乗っかることができるのかNFTの魅力な訳です。

マルクスがいま生きていたらどう思っているのでしょうね。

今までの個人が富を蓄積していってしまうようなあり方
格差が広がって貧困問題が加速していく社会構造から
転換させれば、税収も増えていくし、人々の経済的な行動のあり方もより公益的にコミュニティの利益があがり、人々がつながりなおします。

貧困層と富裕層、資本家と労働者という形で、孤独によって断絶させられていた人々がつながっていけるようになります。

ここに気づけると超楽しくなりますよ、といっています。

歴史的文脈に沿って一回整理しなおすと非常に面白いです。

#ラグプル みたいなことをやらかすとプロジェクトの格が下がるようなことはあります。

他人を落として悪くいう人には人が集まりません。

最後までご覧いただきありがとうございます。皆様からいただいたサポートは今後のエコ活動に役立てさせていただきます。